柄谷行人『世界史の構造』(1)「序説」

 柄谷行人は交換様式として経済をとらえる。
 交換様式A「互酬」は贈与と返礼による。私の思いつく例は寺子屋である。先生は読み書きそろばんの知恵を生徒に贈与する。生徒は食材や奉仕で先生に返礼する。長屋のような共同体で成立するものだ。柄谷は数世帯から成る狩猟採集民を例に挙げた。
 交換様式B「略取と再分配」は支配と保護による。国王と臣民の関係が典型的だ。国王は臣民の財を略取しながら、他国からの侵略を受けることが無いよう臣民を保護する。道路や治水の工事も行い、民を潤す。
 交換様式C「商品交換」は貨幣と商品による。昔から我々の時代まで続く貨幣経済のことだ。商品を売って貨幣をためる。資本をためる、と言ってもいい。交換様式Cが交換の中心になった社会が資本制社会である。
 交換様式AやBが交換の中心だった時代もある。資本制社会において、交換様式AやBは変容を受けて資本制社会を支える。すなわち、資本制社会は交換様式ABCの三位一体から成る。具体的な社会構成体として、交換様式Aはネーション(日本においては日本人)があたり、交換様式Bは国家があたる。交換様式Cは資本だと柄谷は言う。かくて、資本=ネーション=国家という切っても切れない結合体が現れる。
 さて、交換様式Bのもたらす国家による支配を拒否し、交換様式Cのもたらす貧富の差を拒否し、交換様式Aを復権させようとする運動がある。それは交換様式Aそのままの復活ではありえない。交換様式Aの高次元の回復だと柄谷は言う。それが交換様式Dだ。
 交換様式Dは世界宗教や初期の社会主義などに現れる志向である。カント的な至上命令に導かれる。他の交換様式から派生する人間的な欲望による権力形態を越えた力だ。それはまだ実現したことが無い。本書はそれをカントの「世界共和国」として目指す。
 感想。ナショナリズムの由来』には、大澤真幸柄谷行人をよく勉強してるなあ、と思う箇所がいくつもあった。また、『ナショナリズムの由来』と『世界史の構造』の目次を比べると、どことなく似ている。つまり、共同体や国家の諸形態を考察し、それと資本主義を関連づけて論じる構成になっている。その構成の一部々々に大澤は柄谷行人を埋め込んで応用している。対して、柄谷は構成の全体を柄谷行人で埋め尽くしているはずだ。どっちが良いのか、『世界史の構造』を読み始めたばかりでまだわからない。とにかく思ったのは、『トランスクリティーク』は批評であり、つまりまだ文芸書として読めるが、『世界史の構造』はとうとう社会学書だ、ということである。