中之島国立国際美術館、ルノワール展ほか

 子供の頃に「イレーヌ・カーン像」が好きだった。新聞で複製の小さな広告画像を見かけたのである。ところが大きな画集で見ると、外国人の目鼻立ちは強烈で、髪はおどろおどろしく、どうもいただけなかった。そのうち中学高校になると、印象派より超現実主義の方が好きになって忘れてしまった。それでもいま三十分ほど電車に乗れば見られる、となると興味がよみがえった次第で、国立国際美術館まで足を運んだ。結論を言うと、画集は印刷が悪かった。本物は素晴らしかった。解説で八歳児の肖像と知ってびっくり。ほか、展示場ではポーラ美術館による光学調査の映像報告もあった。それによると初期のルノワールは緑色に関しては、発色の良いエメラルドグリーンと透明感のあるビリジャンを使い分けており、それが晩年になると、ビリジャンだけになるのだと。
 同時に荒川修作の初期作品や六〇年代七〇年代美術の展覧会もやっており、これも楽しめた。フォンタナ「空間概念<期待>」を久しぶりにじっくり間近で見られたのがうれしい。一色に塗ったキャンバスに切れ込みを入れたやつである。好きなのだ。今回のは青地に四本の筋だった。駄作もあるがこれには満足できた。手わざの跡を残さず、機械の仕事のように画面を仕上げるのが肝要なんだろう。そこへ人手のナイフがざっくり入るから快感なのではないか。帰宅して秘蔵の『現代美術第25巻』(みすず書房、1964)を確認すると、瀧口修造もこんな解説を付けていた。

 こうした作品の多くは純粋な色彩で均等に塗られており、一気に切られた線は、軽く内側にめくれ、切っ先はするどい。それは手の作業でありながらメカニックである。しかしメカニックであるだけなく、その速度と呼吸はやはり人間的なのである。

 最後の部屋に会田誠のでかい「滝の絵」があった。説明が付いており、これが未完成であることを初めて知った。六月に完成のための公開制作が予定されているとのこと。