井上太郎『ハイドン106の交響曲を聴く』

 昨年は埴谷雄高他の生誕百年であるだけでなく、ハイドン没後の二百年でもあったらしい。その記念としてこんな本が出ているのを知らなかった。ハイドン交響曲の一曲ごとすべて、というより、一楽章ごとすべてに、素人向けの解説を付けてくれた親切な本である。ざっと見たところ、評価のセンスも穏当であり、事典として使える。私にとってハイドン交響曲というと、有名なザロモン・セットはどうでもよい。あれは大袈裟なハリウッド映画のようではないか。あまり知られぬ六〇番台や七〇番台に佳品があると思っている。そのあたりの本書の記述を調べたら、たとえば私の大好きな第七十六番を「ユニークな傑作」と評してくれていた。好みが一致したという意味ではなく、そんな隠れた名曲探しを執筆動機のひとつにした、という点を高く評価したい。
 ハイドン像を大きく変える本ではない。著者が特に評価するのはハイドンの楽しさ、ユーモアである。だから、「パパ・ハイドン」のイメージを覆すのではなく、その良さを一〇六曲全体から再確認しようという本だ。それも悪くない。ただ、私自身は、ハイドンはもっと冷酷な作曲家だと思う。それに気づいてから、彼の音楽をよく聴くようになった。モーツァルトベートーヴェンと違って、ハイドンは自分らしく歌おうなんて露ほども思っていない。自分が理解されるなんてどうせありえないから。ハイドンの冷酷さ、を説明するのは難しい。あえて言ってみると、たとえばそんなところだ。
 追記。井上はフィッシャー指揮の全曲集を基本に説明している。私はフィッシャーの曲作りは下品だと思う。メリハリがきつすぎる。ザロモンセットではそれが効果的だが、最初の二〇番台から七〇番台の曲に関しては典雅さを欠き、多くの曲で失敗している。私なら全曲集はドラティ指揮を推す。ちなみに、いちばん好きなのはクイケン指揮の五枚組CDだ。八〇番台を中心に十四曲収録されている。