村上春樹『1Q84』Book3、読了
単純明快に一九八四年に帰還させるということだけはさすがにしなかったようであるが、ごく普通に終わったな、という印象に変わり無い。Book1, 2 の多様性が、再会の一点にあっさり収束されてしまい、戸惑いが残った。先月二十五日の諸新聞の評をざっと並べておく。私の戸惑いをみんな共有してくれていてうれしい。そのうえで、みんな作品を無理矢理ほめようとしているのが微笑ましい。謎が解決されたか否か、話が停滞するか否か、意見は分かれている。
今までの村上春樹の小説でも際立ったエンターテインメント性をはっきりと示している。(略)もちろん「リトル・ピープル」と「空気さなぎ」の謎めいた秘密は健在なのだが、それさえずいぶん分かりやすく整理されている。一言でいうと、こんなに分かりやすく読者に親切な小説は、この作家で読んだことがない。(日本経済新聞、四月二五日、清水良典)
スリリングな探偵小説のような展開だが、物語は少々停滞気味になる。(略)前編のいたるところに仕掛けられた謎や重い倫理的問題がすっきり解決されるとは言いがたい。(略)私は、ここで村上春樹は一種の華麗な退却戦を戦ったのだと思う。(略)この「退却」は決して否定的なものではない。(略)恋人たちの二十年ぶりの出会いは「本当のことにしては素晴らしすぎるような気がする」。(毎日新聞、四月二五日、沼野充義)
これまでの村上春樹の文体は「停滞」のようなテイストがあった。先を急がない。しかし、BOOK3は「謎解き」の先を急いでいる感じがするのだ。(略)多くの「謎」にきれいに決着をつけた。読者としてはこれで安心という感じと、少しきれいすぎたかもしれないという感じとが交錯する。(産経新聞、四月二五日、石原千秋)
青豆は生きていた。しかも「妊娠」していた。処女懐胎よろしく、再会すらしていない天吾の子を。おそらくは胎児の呼び声で青豆は死を思いとどまった。この「妊娠」を小説的必然として受け入れるか、オカルト的つじつま合わせとして一蹴するか。私はあえて、前者に賭けることにした。(朝日新聞、四月二五日、斎藤環)