十年前の「文学界」を読んだ

ウェーベルンは最も好きな作曲家のひとりである。むかしは良い演奏のCDが少なかった。悪い演奏さえ少なかった。ブーレーズが監修して一九六七年から七一年にかけて録音された全集がやっとCD化されたのは一九八七年である。それもあまり満足できるもので…

「思想地図」vol.4、宇野常寛「ポスト・ゼロ年代の想像力」冒頭

物語批判は古い、と宇野常寛は「思想地図」第四号の「ポスト・ゼロ年代の想像力」で述べている。相も変わらず物語批判を奉じている例として「早稲田文学」を挙げた。彼はこれを「文壇のキューバ」と呼んでるそうだ。しかし、たとえば、ムーア『シッコ』に描…

現代訳ウェーバー『職業としての学問』(三浦展訳)

1917年のドイツの講演である。大学教員のあるべき姿が説かれている。ただ、そう読んでしまうと、われわれの実感には合わない面ばかり目立つ。しかし、訳者はこれを現在の日本社会全体の文脈に置いても読めるものとして提示した。「現代訳」と銘打ってるのは…

すばる5月号「文芸漫談」奥泉光いとうせいこう「後藤明生『挟み撃ち』を読む」

私にとって、後藤明生というと『挟み撃ち』(1973年)の作家であり、なんでそうかというと、蓮實重彦の熱烈な頌があるからである。1975年初出で後に『小説論=批評論』所収の「『挟み撃ち』または模倣の創意」がそれだ。一言だけ引用すると、主人公の「わた…

弥生の一番、群像3月号、村田沙耶香「星が吸う水」

男性の自慰行為には動詞「抜く」が使われる。さて、女性も「抜く」ことができるだろうか。三十路を目前にした主人公鶴子は「抜ける」女性である。彼女の唯一の性感帯はクリトリスだ。ただし、小説ではすべて「突起」と書かれている。川上未映子の「先端」が…