投瓶論争

鮎川信夫賞、稲川方人、瀬尾育生『詩的間伐』

私が現代詩を読めなくなってきたのは、たぶん、平出隆や松浦寿輝を好んで、稲川方人を読まなかったことも一因かもしれない。稲川の方が現代詩であった。今となっては平出や松浦を詩人とは呼びにくくなっている。対して、中尾太一が稲川方人から生まれている…

投壜通信まだまだまだ

この話題を終えるのは結構大変なのかもしれない。また無視できない説が見つかった。「ユリイカ」五月号が『クォンタム・ファミリーズ』の小特集を組んでおり、その中の佐藤雄一「QF小論」によると、投瓶通信はマンデリシュタームの評論「対話者について」…

投瓶論争まだまだ

投瓶論争にはもう触れないつもりだった。充分に理解できたからである。というのは、どうも勘違いだったらしい。東浩紀が21日のtwitter で投瓶通信について何度か言及している。ガキっぽさは相変わらずだけど、ふたつほど、思いもよらない発言があった。 ひと…

十年前の「噂の真相」四月号を読んだ(その2)

たしかに浅田彰の発言には、そんなことは黙ってればいいのに、と思うのもある。そこは省いて、必要な部分を。中森 東は浅田さんが編集委員を務める『批評空間』が売り出した批評家なんだから、もうちょっと教育したら。それとも、個人的に迫ったけど、ふられ…

十年前の「噂の真相」四月号を読んだ(その1)

何度か触れてきた投瓶論争をそろそろまとめておきたい。自分の批評活動をどうやって読者に届けるか、という場合のモデルのひとつが投瓶通信だ。 1、浅田彰は投瓶方式を支持する。この方法では一人の読者にも批評が届かないかもしれない。けれど、「届かない…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その10)

読み終わった。最後は「物語外2」である。一章だけしかなく、その章題は「i 汐子」だ。記号「i」は「ファントム、クォンタム」では第二部に使われていた。「i 汐子」にあたる章は「−1」だった。 「ファントム、クォンタム」では「ぼくは九年前には結婚…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その5)

「7父4娘4」の途中まで読んだ。まづ「4娘2」から。「一世紀前のドイツで活躍した有名な哲学者」の言う「罪」が興味深い。「ファントム、クォンタム」では「現存在」という用語で説明されている。「罪」なんて『存在と時間』にあったっけ?「負い目」(…

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その3)

「2娘1」を読む。父と娘が交互に語り合う章立てのようだ。ますます村上春樹っぽいが、「ファントム、クォンタム」より構成感がくっきりして良い。「娘」の章で特筆すべき改稿点は、「あなた」への手記になったことだ。「わたしはいま、故郷の世界から遠く…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その2)

この本には、私の知らない話、忘れてた話、軽視してた話、がたくさんあって、それが役に立った。一例だけ挙げておこう。 「週刊朝日」の緊急増刊「朝日ジャーナル」(04/30)に、浅田彰と東浩紀とほか二名の座談会が載った。ふたりの違いがハッキリする応酬…