鮎川信夫賞、稲川方人、瀬尾育生『詩的間伐』

 私が現代詩を読めなくなってきたのは、たぶん、平出隆松浦寿輝を好んで、稲川方人を読まなかったことも一因かもしれない。稲川の方が現代詩であった。今となっては平出や松浦を詩人とは呼びにくくなっている。対して、中尾太一稲川方人から生まれているのは周知のことだ。しかし、私が稲川を軽蔑したのにも理由はあって、かつて彼が「現代詩手帖」で連載していた、大洋ホエールズを支持する野球エッセイはひどいものだった。あれが私に彼を読み誤らせた(あれを書いてたのはたしかに稲川だったよな)。まあ、弁解はよして、これからは稲川や瀬尾も読んでいこう。
 2002年から09年まで十六の対談鼎談が収録されている。三つ読んだところだ。私の知らない詩人や読んでない詩集についてたくさん議論されており、ちんぷんかんぷんだ。たくさん売れる本ではなさそう。でも、わかる部分がちらっとあり、そこが良い。たとえば、吉増剛造『The Other Voice』について、「一種のモノローグの形式だというふうに思うんですけども、それをやっぱり現代詩の可能性として受け取っちゃいけないんじゃないか」と稲川が言っている。私も後期の吉増の詩風に不満だ。

 吉増さんは、谷川さんもある種そうなんだけども、内に反時代、反世界の激しい衝動というものを持っている詩人なわけです。とくに吉増さんは六〇年代、七〇年代はそれで突っ走ったわけですけど、その激しい反世界のモノローグがどこかで消されている。消しているのか、そうせざるをえなかったのかわからないですけども、吉増さんにはやっぱりどこかにまだあるような気がします。そこで次の展開を吉増さんにやってほしいという希望があるんです。

 『クォンタム・ファミリーズ』を読むに際し、私は浅田彰東浩紀の投瓶論争に関心を持ってきた。この小説を私はずいぶん誤読してるけど、この線は脈があるとまだ思ってる。投瓶通信の議論はマンデリシュタームまでさかのぼるらしい。読んでみると、なんとも魂の美しい詩人の言葉であった。『クォンタム・ファミリーズ』と投瓶論争にまで詩人の魂は届いていないと思う。以後考えなくていいだろう。さて、私自身の抱く投瓶通信のイメージは、マンデリシュタームとはずいぶん異なる。浩紀とも異なる。それは、私の住む孤島から、とにかく海に流さねばならない。不思議なもので、原稿を自分の手元に置いたままでは、書いたことにならないのだ。そして、ある日、返事が届く。読むとこうある、「都心にわづか30分のマンションを御紹介させてください」、あるいは、「あなたの居る島は私の土地です、三日以内に退去してください」。だから、流したら誰かに届く前に原稿にはさっさと消えてほしいほどだ。さて、驚いたのは、瀬尾が私とほとんど同じ感覚をもっていたことだ。

 書いているときは自分で何を書いているのかよくわからない。それがわかるのは原稿を渡したときなんです。(略)もう渡しちゃって手が加えられないというときになって突然ハッとわかる。(略)とにかく一遍手を離れて公開されてしまわないと自分が何を書いているのかわからないという感じがずっとある。(略)だけど手が離れるととつぜん最悪の読者が登場してくる。

 私と同じところだけ強調して引用するとこうなる。私は高校を卒業する頃からずっと三十年もこれは自分だけの感覚だと思って生きてきたのだが、こう比較すると、なんかありふれて見えてきた。ぽかーんとする。ちんぷんかんぷんながら、読み続けようと思うゆえんである。