十年前の「噂の真相」四月号を読んだ(その1)

 何度か触れてきた投瓶論争をそろそろまとめておきたい。自分の批評活動をどうやって読者に届けるか、という場合のモデルのひとつが投瓶通信だ。

 1、浅田彰は投瓶方式を支持する。この方法では一人の読者にも批評が届かないかもしれない。けれど、「届かないこともあるけれど、それは仕方がない」「見えない読者がたまたま拾って読んでくれればそれでいいんじゃないの?」と、彼は言う。
 2、対して、東浩紀は「批評というジャンルを生き残らせるために最低限の売れる努力をしていこうよ」という立場だ。
 3、これだけならただの意見の相違だが、問題は、複数の指摘があるとおり、もともと投瓶方式は『存在論的、郵便的』に述べられた、東浩紀の思想なのである。
 4、この点について、浩紀の答えはこうである、浅田彰の言う投瓶通信は「届くべき人には必ず届く」という話であり、『存在論的、郵便的』が論じた「誤配」とは異なる。浩紀が浅田の発言を誤って伝えているのは明らかだ。
 5、むしろ、投瓶通信を「届くべき人には必ず届く」という形で使っているのは浩紀本人である。『クォンタム・ファミリーズ』で風子が汐子に呼びかける、「どこかの世界であなたが生き、成長し続けていると信じてこの手記を記しています」という一言を見よ。

 私の考えを一言にすれば、投瓶通信には浅田式と浩紀式の二種があり、前者は『存在論的、郵便的』に当てはまり、後者は『クォンタム・ファミリーズ』に当てはまる。東浩紀の初期と現在に微妙な違いがあるわけだ。微妙とは言え、「1」と「4」の違いは明白で、浩紀本人が気づいてないとは考えにくいのだが。
 そのうえで、「噂の真相」二〇〇〇年四月号を読むと興味深い。これを読もうと思ったきっかけは、浩紀の「誤状況論」第二回である(『文学環境論集』所収)。「僕は『批評空間』に敵対する立場に置かれており、浅田氏の激しい中傷を受けるまでに状況が悪化している」とか、浅田は田中康夫などと「連帯」して「僕」を「攻撃することに決めたようである」とか、書いてあることが尋常ではない。「中傷」や「攻撃」は「噂の真相」一九九九年四月号に載ってるらしい。どんなものか、読んでみたくなるではないか。けれど、実際は二〇〇〇年四月号のことかと思われる。浅田彰田中康夫中森明夫の鼎談「90年代の論壇・文壇状況の検証!!"身の程を知らない文化人"を斬る!」がそれだろう。内容自体はくだらない。

中森 浅田さん、ゲイなの?(笑)
浅田 僕はカミング・アウトっていうコンセプトに反対だから。性的アイデンティティを明らかにするなんて馬鹿げてるじゃない?もっとも、バイセクシュアルだってことは、昔から言ってるよ。

 知らんかった。そうだろうな、とは思ってたけど。このあとは、柄谷行人中沢新一福田和也小林よしのり宮台真司加藤典洋朝日新聞社などなどをクソミソにけなしながら十頁も続く。その中で東浩紀もサカナにされていた。正直なところ、上記の面々のうち、こんな馬鹿話にびーびー泣いて反応したのは浩紀だけではなかろうか。わざわざ大阪市立図書館まで調べに来た自分が虚しかった。けれど、投瓶通信に関するヒントは得られたのである。