弥生の一番、青山七恵『魔法使いクラブ』

 青山七恵とか津村記久子を読むとよく思う、「また芥川賞を取るつもりなんだろう」。そんな作家が幻冬舎から小説を出した、というのが意外だった。三章に分かれていて、それぞれ主人公が小学校、中学校、高校と成長してゆく構成だ。私は去年に活字になった青山しか知らない。その印象で言うと、第三章は穏健な作風から抜け出そうとしてるように見えた。そこが幻冬舎っぽくはある。
 私は十人くらいの若い人と話したとき、超能力を信じてる割合が高くて驚いたことがある。深く話し込んだわけではないから、どんな信じ方をしてるのかまではわからなかった。たぶん、熱狂的に信じてるわけではないだろう。小説の魔法使いクラブの子供たちもそんな感じだ。「魔法使いになりたい」という願いに、遊びと本気の区別の外で熱中する。
 それはポストモダンの態度としてよく言われる「イデオロギーのうそを知りつつあえて信じてるように振る舞う」とは違う。それよりもっと根深い心性だと思う。古井由吉がどこかで言っていたが、日本人の宗教心としてある、信じていないけど信じているという微妙なもの。通俗化した例では、親が子供に「夢」の名において自分から熱中してサンタクロースを信じ込ませてしまうような。
 魔法使いクラブのメンバーはこの心性を維持できない。それはサンタの夢が破れるのと同様当然のことだ。けれどメンバーには致命的なのである。維持できないが捨てきることもできないのだ。冒頭の一文と最後の一文で「黄色い車」が照応することに稲葉真弓は気づいて、「著者は小さな祈りを託したのだ」と述べた(「新潮」二月号)。私には残酷な皮肉とも終わらない悪夢ともうつった。