東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その5)

 「7父4娘4」の途中まで読んだ。まづ「4娘2」から。「一世紀前のドイツで活躍した有名な哲学者」の言う「罪」が興味深い。「ファントム、クォンタム」では「現存在」という用語で説明されている。「罪」なんて『存在と時間』にあったっけ?「負い目」(細谷訳)「責め」(原訳)のことか。第五八節から引くと、「現存在は現存在であるかぎり、すでに負い目あるものである」。それは、「現存在は存在可能的にいつもどちらか一方の可能態のうちに立っていて、いつもそのほかの可能性を存在せず、その実存的投企においてすでにこれらの可能性を放棄してしてしまった」からだ、と考えると『クォンタム・ファミリーズ』の老教授の講義はわかる。ハイデッガーまで出てくる小説だった。追記。コメントいただいた。ヤスパースらしい。ああ、それは私にはわからん。追記。2010年1月25日の浩紀のtwiog を読むと、「ちなみに、QFに出てくる思想用語はほとんどすべてと言っていいほど「SF的な擬似用語」なので、哲学の知識はまったく前提としません」、あるいは、「QFは嘘設定ばっかりで作られているので、いくら勉強しても別に「よくわかったり」しませんよーw」とある。そのうえで、「ハイデガーの現存在の定義が量子力学に関係するわけないじゃん」ともある。すると、やっぱハイデッガーで正解だったかな。
 理樹が「一〇二四桁のクリプキ数」を使った人格交換のテクニックを説明する。当然、この数字を彼は知っているはずだ。だから、09/06/04 でも不思議に思ったけど、理樹が後で数字を教わりたくなって風子に聞き直しに行く必要があるとは思えない。ここは改稿されずにそのまま残った疑問点である。
 「5父3」で気になった改稿点はひとつ。テロの準備をするため、「ファントム、クォンタム」の江頭新は資格を取得するなどして爆発物を扱えるようになったのだが、『クォンタム・ファミリーズ』の彼は「準備は驚くほど簡単だったよ」と言う。理樹が関わっている。その意味はいまは考えずにおく。
 「6娘3」では風子が汐子に呼びかける、「どこかの世界であなたが生き、成長し続けていると信じてこの手記を記しています」。これが改稿で書き加えられた。投瓶論争に私はこだわりたくなる。これこそ「届くべき人には必ず届くという話」 になるのではないか。つまり、東浩紀浅田彰に押し付けている投瓶モデルで『クォンタム・ファミリーズ』を説明できる予感がするのだ。