十年前の「群像」を読んだ。柄谷行人と村上龍の対談。

十年前の一月号には「群像」と「文学界」が柄谷行人の対談や鼎談を載せた。どちらも良い。NAM を始めた頃で、柄谷の発言は意気軒昂としている。それとはあまり関係無い部分を引用しよう。もちろん、NAM を始めたという文脈で語っていることではある。「群像…

「新潮」3月号、星野智幸「俺俺」最終回

文学の終りをテーマに始めたこのブログは、『1Q84』や『クォンタム・ファミリーズ』(「ファントム、クォンタム」)を話題にしてるうちに、だんだん「複数の世界」や「複数の私」も気にするようになってきた。昨年は、並行世界とか、もう一人の自分とか、そ…

新潮昨年12月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」、連載第四回

「新潮」6月号で星野智幸「俺俺」が始まった。主人公の男性と別の男で人格が入れ替わってしまう話である。「ファントム、クォンタム」と似ている。また、村上春樹の新作『1Q84』Book1 の帯にはこうある。これも「ファントム、クォンタム」を思わせる。 「こ…

塚本邦雄(その2)、短歌の終り

楠見の本のまえがきによると、「歌は滅びた、というのが、中年以降の塚本邦雄の考えであった」。調べると、『詩歌宇宙論』(一九八〇)所収の「明日を語らば」に当たった。「一九六〇年にその後二十年を占つた人人の中には(略)画期的な俊才、若い桂冠詩人…