十年前の「新潮」を読んだ。平野啓一郎「葬送」第一部、よりもCD。

 五五〇枚を一挙掲載である。あんまりたくさんなので、単行本との違いを比較する気になれなかった。当時の新聞時評を確認すると、川村湊も菅野昭正も、第二部もふくめ「葬送」に言及していない。平野啓一郎のブログには、「ピアニストの方と会うと、『葬送』の感想を聴かせてもらうことが多くて、あれは本当に愛されている作品なんだなとしみじみ感じます」なんて書いてあって(09/12/08)、このあたりはファンと専門家の意識の違いだろう。「愛されている作品」ということでは、10/07/03 の記事に、読者からのこんな内容の手紙が紹介されていた、「自分の夫はガンで、余命数ヶ月と宣告されている。その夫が、『葬送』が大好きで、残された時間をもう一度、『葬送』を読むことに費やしたいというので、大学生の娘と、毎日交代で、病室で朗読してあげている」。
 今年はショパンの生誕二〇〇周年とのこと。記念して、EMI の音源から名演奏を集めた二枚組のCDが発売されている。ふたつあって、どちらも平野啓一郎が選んだものだ。詳しい解説も書いている。ひとつは『葬送〜平野啓一郎が選ぶ"ショパンの真骨頂"』。その下品なタイトルに二の足を踏んではならない。中身は素晴らしかった。「選んだ曲については、入手可能な限り、ほぼすべての演奏を聴いた」という誠実さが感じられる。結果として、リパッティポリーニアルゲリッチ、フランソワ、コルトーといった聞き覚えのある演奏でほぼ半分が占められたのは仕方なかろう。むしろ、ウィンブルドンで強豪だけが順当にベスト8に残ったような凄味がある。ちなみに私はショパンは好きではない。そして、この際そんなことはどうでもよい。
 選曲には平野個人の好みがうかがえる。無い曲を挙げてみよう、幻想ポロネーズ、幻想即興曲軍隊ポロネーズ、雨だれ、黒鍵、太田胃酸、協奏曲、などなど。だいたい無くていいよね。私としてはスケルツォの二番が無いのが残念。彼が選んだのは三番だった。ソナタを二曲入れ、バラードも二曲入れている。特にバラード四番について彼は、「最高傑作はこれなんじゃないかという気が今はしている」と書いた。情熱をたたきつけるよりは、品が良く、コロコロと音が流れて、うっとり夢見るような曲が好みのようだ。よくあるショパン名曲集と違って、ごった煮の印象にならず、個人が選んだだけに、統一感のある時間を過ごせるのが喜びである。もちろん、ほど良い俗っぽさも楽しく、ノクターンの二番とか、ちゃっかり入っている。
 解説も良い。「英雄」を紹介しよう。演奏はポリーニ。二十六歳の、語り草となった復活時の演奏である、「後の彼のどんな演奏よりも、この時の方が凄いんじゃないか」。迫力が凄いのではなく、「こんなに端正で、格調高い」というのにほれぼれしているのだ。

 左手がオクターヴの伴奏になる第2部のトリオを聴いていると、私はいつも、ダ・ヴィンチの所謂「空気遠近法」を思い出す。ショパンのピアノ、フォルテの指示は、強弱というより、遠近として理解した方が効果的な箇所がたくさんある。ここはその典型で、霞のかかったような彼方から迫ってくる緊迫感が絶妙。

 CDはもうひとつあって、『ショパン伝説のラストコンサート』。これはまだ封も開けてない。