小谷野敦『中島敦殺人事件』

 何年も前に中島敦山月記』は研究論文をいろいろ読んだ。クレス出版中島敦山月記』作品論集』(2001)を使った。木村一信の作品論がそれまでの研究史の成果の積み重ねの上に立つ到達点で、これを超えるものはなかなか出ないだろう、と思った。主人公李徴の語りの変化をうまく解説している。自分の境遇を、最初は不条理なさだめだと述べるが、次第に、自分の性情が招いた悲劇である、と思うようになる。その変化の契機として、ちらっとであるが、李徴の話を親身に聴いてくれる袁惨の存在に触れているのが重要だ。もっとそこを論じれば完璧だったろう。袁惨が人間扱いしてくれたからこそ李徴は語る気になったのだし、また、語ったからこそ自己反省も生まれたのだ。
 昨年は中島敦の生誕百周年だった。ほかに太宰治松本清張大岡昇平埴谷雄高も百周年だった。この五人の共通点は探しにくい、という話だったが、淀川長治も百周年だったことを思い出せば、映画を軸にしてまとめることは可能だったろうに、と思ったものである。中島敦の百周年はあまり盛り上がらなかった気がする。河出書房『道の手帖 中島敦』は読んだ。最近の中島敦研究は南洋ものなど、植民地政策との関わりを論じることが多いらしい。川村湊の談話が記憶に残っている。中島敦は小笠原旅行の際、わざわざ欧米系の帰化住民の部落を見に行っているとか、中島家の漢学者は現代中国の情勢も研究していたとか。
 「中島敦殺人事件」が百周年と深く関わるかどうか、わからない。とにかく、簡単に言えば「山月記」の評価をめぐる小説である。要点だけ原稿用紙十枚のエッセイにまとめれば、もっとすっきりしたろう。でも、そうしたら私の目に触れることも無かったろう。ひとつ、なるほどと思ったところがあった。この小説の主人公は、人との交わりを絶って詩作にふける李徴を「不快」だと言う。

 「新人賞とか、そういうものに、何度も応募したけれど通らなかった、それで三十を過ぎちまった。それで、悔しいってんで、虎になっても熊になっても、それならいいよ(略)だがそうじゃない、羞恥心と自尊心から、碌に応募もしなかった。それで虎になった、ってそれが不快なんだよ」

 たしかに李徴には矛盾がある。彼は孤独な詩人として自分だけが知る詩の真実を極めたいわけではない。そんな芸術家気質は一文字も書かれていない。そうではなく、彼は評価されたい、売れっ子になりたいのである。「詩家としての名」を残したいとか、「己の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている」とか、そんなことばかり夢見ている俗物なのだ。にもかかわらず、李徴は「碌に応募もしなかった」のだ。それぢゃあ夢がかなうわけが無い。たとえば、『トニオ・クレーゲル』は三十年前に読んだきりなので、記憶が薄れてるが、この点でトニオと李徴に違う印象を持つ。「山月記」も初めて読んでから三十年になるが、小谷野の主人公に指摘されるまで、この矛盾に私はまったく気がつかなかった。もっとも、小谷野の小説ではトニオと李徴は同じ類型として扱われている。そして私はべつに「不快」は感じない。可愛らしいくらいだ。
 有名な「尊大な羞恥心」「臆病な自尊心」もこの矛盾と関わるだろう。そして、袁惨が感じた李徴の詩の「欠けるところ」も、もしかしたら、李徴の俗物性に関わるのかもしれない。