土曜「読売新聞」水村美苗「母の遺産」第十回

 大阪朝日新聞の嘱託だった坂田三吉は字が読めなかった。社員に頼んで夏目漱石の連載を朗読してもらうのを楽しみにしていたという。似たような話を他にも聞いたことがある。最先端の書き言葉がそこにはあった。まあ昔のことだ。いまの新聞小説は株式欄かなんかの片隅に巣食う埋め草で、あれを毎日ちまちま読んでる読者層って想像がつかない。「読売新聞」にはそんな伝統的な新聞小説のほか、土曜朝刊に載る連載がある。こちらはスペースをどかんと与えられている。松浦寿輝川の光』がそうだった。追記。これは記憶間違い。コメント欄をご覧ください。
 いまは水村美苗「母の遺産」だ。先週で第十回まで終り、私はいまのところ欠かさず読んでいる。今回冒頭のあらすじ紹介を引用すると、

 化粧を欠かさず、美しかった美津紀の母は、骨折の手術から無事に生還したものの、衰えゆく自分の運命を受け入れられず、いらだっていた。一方、母が永年独り暮らしを続けていた世田谷・千歳船橋の家に買い手がついた。

 今回は、「千歳船橋の家」を手放すにあたり、母のため込んだ品々を主人公美津紀が点検する、という話である。まづ、たくさんの薬が見つかる。それはいい。お次だ。

 今一度元気になるかもしれないという幻想を、老人の常として、母は持つともなく持ち続けていたのにちがいない。いつのまにか役立たずになってしまっていたものが、あちこちに大事そうにしまわれていた。(略)華やかなレースが胸元と裾に施され、娘たちは恥ずかしくて着られないような過剰に女らしいスリップもそうであった。ここ数年、おしゃれといってもズボン姿しかありえなかったのに、ドレスを身にまとえる可能性を捨てられなかったのであった。

 今回に限ったことではない。彼女の書こうとしていることは明快に伝わる。「元気なお年寄り」とか「美しく老いる」とか「充実した老後」とか、テレビや広告が連発する気休めがいかに空疎であるか。たしかに有吉佐和子恍惚の人』(1972)の頃とは介護の状況は大きく変わってる。けれど老醜に変化のあるわけは無い。もともと美苗は悪びれずに残酷な作家である。『本格小説』で何度か感じた例では、貧富の差があれば、富んだ者の方が人格に余裕があり、どうしたって貧しい者は自分の惨めさに敏感だ、なんて描写を当然のこととして書く。この筆が「母の遺産」では老いに向けられている。読者層が私はわりと目に浮かぶが、彼らはこれに耐えられるだろうか?