国立国際美術館「絵画の庭−ゼロ年代日本の地平から」展

 通勤中にポスターを見かけて興味を持った。毎日新聞高階秀爾が好意的な評を書いている(2月18日)。これが決め手で見に行った。若手を中心に二十八人の作品が二百点ほど。全体としては大学美術部の合同展のようだった。素人くさい。小説も美術も似たような状況なんだな、と思った。もちろん少数の見事な作品に出会えた。そのための展覧会である。私なら三人にしぼって、秋吉風人、加藤美佳、町田久美だ。
 大作の目立つなか、秋吉は小画面のひっそりとした油彩の連作を八点である(「Room」ほか、二〇〇九)。すべて、空っぽの部屋を描いた。床と壁と天井だけ、それを金色に塗りつぶした。秀吉の茶室のようなあくどい金色ではなく、落ち着いた黄土色に近い金色が美しい。図録の解説によると、最初の一作を仕上げるには、金色を均一に塗るために、そして、床と壁と天井を塗り分けるために、半年を要したという。
 加藤は大画面で少女の顔を写実的に描いた「カナリヤ」が目立った(一九九九)。大人の営みを観察しているような無表情は、言葉になる前の軽い軽蔑を秘めているようだ。自作の人形を写真に撮って、それを油彩で描く、とのこと。離れて見ても圧倒的に鮮明である。近づくと、まつ毛の一本一本が描き込まれ、その剛毛そうな張りまでが伝わるほか、逆に、肌には荒々しいほどの白点が散らされていて息を呑んだ。
 町田は有名のようだ。日本画を学んだ人で、雲肌麻紙の大画面に和人形のような童子像を描く。もっとも、「雪の日」はウサギらしい(二〇〇八)。たしかに目が赤い。胸から出てるのは耳か。そんなことより、線が素晴らしいのだ。極太の筆で、ぐーーーーっと伸ばして、伸ばしつつじんわり引きぬく、そんな息づかいにうっとりした。いや、実は、細い筆で何度も塗って作った線なのだとか。そうすることによって、むしろ「手わざの痕跡を意識的に消そうとしている」と山下裕二は言う(「アート・トップ」二〇〇八年七月号「超「筆ネイティブ」」)。