現代詩手帖4月号、座談会「突破口はどこにあるか」

 かつての「ユリイカ」も1969年になると六〇年代詩人の特集を組んだ。「現代詩手帖」も同じだ。四月号の特集は「ゼロ年代詩のゆくえ」である。水無田気流中尾太一、蜂飼耳、岸田将幸佐藤雄一の座談会を読んだ。本題の「突破口はどこにあるか」よりも「ゼロ年代の詩意識を問う」という副題がぴったりの内容だった。
 最初の発言で水無田が、ゼロ年代を話題にするのも悪いわけぢゃ無いけれど、でも「本当は、現状の経済社会構造や文化論的転回の反映として、詩を含めた日本語の言語表現のあり方全般を考えたほうがいいんじゃないでしょうか」と言う。続いて、「詩集を臨床的に読み込んでいくなかから、結果として」ゼロ年代について語れればよい、と考える佐藤は、「ゼロ年代」という「蔑称語としてすら使用される時代状況は、そもそもそのような臨床的な読みをオミットする暴力性のなかにあることを確認しておきたい」と述べる。さらに中尾がそれを受けて、「他者のない欲望の充足を個人個人にさせてしまう演技の集計が倫理的管理社会であって、そこで自らの自由を言葉で組織する意思を自らで圧殺している、とたとえば言ってみる」、以下延々と、誰もが心からは語りたくないはずの「ゼロ年代」を論じてしまう。それが下地になってであろう、「この座談会には出席したくなかった」という趣旨の告白がなされ、それに同意する者さえ現れながらも、結局は最後まで誰一人として黙りこんだり退席したりはしなかった。
 私の記憶にある古いこの手の座談会はこうじゃなかった。みんな「○○年代詩」なんてさっさと切り上げて、互いの近況や雑感を語り合ったものだ。なにより、経済社会構造や文化論的転回の反映としての日本語の言語表現のあり方全般に含まれる詩について語るのではなく、たんに詩が話題の中心であった。また、最後までほとんど黙って座るだけの詩人もいた。今にして思うと意外で、当時にはとても気付けなかったが、彼らには、詩人であるというだけで尊敬される存在の余裕があった。尊敬に値しない詩人も多かったのに。
 中尾の最後の発言は、「今日は制度の側で詩を書く人間とそうじゃない人間がいるっていうのがわかりました。対立すればいいと思う」。岸田のは、「つけを払うのはぼくらではない、彼らだ」。たとえ二人がどんなに優れた詩人であり、どんなに激しく自分と敵を峻別しようと、敵の多くはいまどきこんな座談会は読まないだろう。これまで何度か私が繰り返してきた文学の終りの典型である。それがわかっているからこそ、二人とも黙るわけにもいかず、ことさらに口調は過激になるわけだ。
 水無田気流『Z境(ぜっきょう)』(2008年)の半分以上の作品に「世界」が使われる。詩人の世界と言えば昔は内面にあると決まっていたものだが、彼女の「世界」はわれわれが「グローバル化」という時の世界だ。その意味で、座談会の冒頭の発言は彼女らしいと思う。「Z境/告解(ハジマリ)」の最初の二行を引こう。
  世界のような日常が
  日常のような世界を おおっていく  
 世界は彼女の外側にあり、本来は彼女と無縁のものだが、いまや日常と区別がつかぬほど、彼女の現実を侵食しつつある。そのうち、世界と彼女の区別もつかなくなりそうだ。Z境とはその最後の瞬間に破られる、彼女が世界から自由な他の誰でもない彼女自身でいられる限界だろう。詩は次のように終る。
  境界線を突破すれば
  その後
  君に私が、見えなくなる
 強烈なリアリティはすでに世界の方が持っている。彼女もだから詩や内面よりは世界について語りたい。しかし、そのゆきつくところへの不安も彼女にはあり、それがこの詩を書かせてもいるようだ。