「文学界」9月号、対談みっつ。

 こないだの芥川賞はいかにも磯崎憲一郎に取らせようという布陣で候補作が選ばれ、順当に磯崎「終の住処」が取った。記念対談ということで保坂和志が相手になっている。最初の話題は、朝日新聞が受賞作をどう要約したか、だ。

 ともに30歳を過ぎてなりゆきで結婚した感のある夫婦の上に流れた20年という時間を描いた。娘も生まれ家も建てたが、常に不機嫌な妻は夫にとり不可解な存在であり続け、夫も浮気を繰り返す。細やかな描写が、相愛の情を欠きながら長い時間を共有したのちに得た、夫婦の関係を浮き彫りにする。(七月一五日)

 磯崎はこれがとても気に食わなかったらしい。「僕の小説は、要約が基本的に馴染まないんですよ。具体性の積み重ねだけなんで」。あの要約しようの無い「絵画」にもふれて、「要するに具体的なことしか書いてないんだということでは、『絵画』も『終の住処』も同じなんです」。そうだったのか。でも、朝日新聞式に要約される余地のあったおかげで、芥川賞選考委員穏健派に安心してもらったに違いない作品である。
 ドナルド・キーン「日本人の戦争」を読んだのは二月号だった。ほとんど話題にならなかったのが不満だったが、やっと本になったらしい。終戦記念日の近くで、という狙いだったんだろうか。「戦争と日本の作家」という対談で、平野啓一郎がキーンの相手になっている。著者自身の、「いちばん深く感じたのは、当然のことですけれども、日本人にもいろいろいるということです」という感慨に尽きる。日本軍には兵に日記帳を配給して書かせるという不思議な習慣があった。

 私が戦地で出会った兵たちの日記は忘れがたいものでした。まだそういう日記があったら、どこまでも探しに行きたいほどです。南太平洋のどこかの島で食べ物がなくなって、マラリアに罹って、近いうちに死ぬだろうと予期した兵が、家族について書く。そして最後の一行は英語で、これを拾うアメリカの軍人は家族に返してくださいと書いていて。そういうことが、私は忘れられないんですね。戦争の時、私はアッツ島と沖縄にいましたが、あのときのことを忘れません。そして、今度この本を書いたのはそのためです。

 松浦寿輝渡辺守章の対談「『たけくらべ』の声、息遣い」も読んだ。樋口一葉たけくらべ」の終りの場面に関する有名な論争について松浦は、どちらの立場にせよ「事実を探る」という態度になるのを問題にしている。

 ソシュール的に言うと、整合性の観点から「シニフィエ」(意味内容)を確定しようとするのはまあいいとしても、現実界の「レフェラン」(指向対象)はもともと存在しないのですから。初潮とも読める、水揚げとも読める、それぞれそう読む根拠があるということであれば、「初潮とも水揚げとも読める」というのがこの問題への唯一の正解だと思います。一葉は結局、複数の解釈を呼び込む多義性へと物語を開くかたちで書きたかったのだし、現にそう書いたということです。一応、表向きは初潮として描写しつつ、美登利の身体の将来にわたってのもっと深刻な運命を暗示した書き方をしたと読んでおけばいいのではないでしょうか。要点はあくまで「子どもたちの時間」の終焉という出来事の残酷さにあるわけですから。

 「複数の解釈を呼び込む多義性」は「にごりえ」にも当てはまる一葉の作風でもあり、この解釈はいつ芥川賞の選考委員になってもおかしくないほど穏健なものだ。『口唇論』(1985)や『スローモーション』(1987)の頃はもっととんがっていたと思うのだけど。最近の彼は毎日新聞の詩の時評とかぬるくて読んでられない。