「新潮」2〜6月号、松浦寿輝の透谷論(その1)

 「新潮」は明治文学を論ずる大型評論をふたつ連載している。渡部直己「日本小説技術史」と松浦寿輝「明治の表象空間」である。どっちも私が文芸誌を読み始める前に始まっており、なにより力作だから文章がややこしい。ちらっと眺めるだけで敬遠している。「立ち聞き」の場面に注目して渡辺が坪内逍遥当世書生気質』を論じたり、面白そうなのだが。
 明治にほとんど興味を持たない私でも北村透谷『蓬莱曲』は大好きだ。「自分」が近代文学のテーマであることを見抜いて実践した透谷は天才だと思う。そして、「自分とは何か」を、個人の心情吐露ではなく、「大魔王」という他者との対決を通して描いた『蓬莱曲』は、詩人の発想として画期的だった。日本近代詩史は、『新体詩抄』なんて数行で済ませて、『蓬莱曲』から本格的に始めるべきなのである。もっとも、透谷は別の始まりでは昔から明治時代の象徴的存在だった。

 「政治と文学」という議論はいつもこの時代、たとえば北村透谷などから始められる。政治的な無力を文学で転倒するというパターン。こういうところで成立する「内面」が近代文学の主流となる。

 「批評空間」の討議『近代日本の批評3』(1992)で柄谷行人がこう言っている。外部での勝利を望めぬ文学は内面の王国で一矢を報う、こうした「パターン」は「政治と文学」に限らない。たとえば小森陽一『文体としての物語』(1988)。二葉亭四迷浮雲』の主人公が鬱屈する過程で彼の心理描写が成立してゆく、という種の説明がそうだ。
 しかし、『蓬莱曲』の柳田素雄までそんなパターンで論じられていいのだろうか。最近の透谷研究を私は知らないが、そこまでひどくはなかろう。ただ、ちょっぴり並べたかぎりでは、ラカンの図式をあてはめた尾西康充「『楚囚之詩』論」(2006)など、近代文学の成立した後の枠組みで透谷を論じたものばかりだ、とは思った。近代文学の始まりに立ち会うような感覚が欲しいのだけれど。そこが難しい。
 松浦寿輝は連載の第三一回から三五回までを北村透谷にあててくれた。「日本の近代詩が『新体詩抄』(明治十五年)から始まるというのはまったくの誤りで、その真の起点は『蓬莱曲』(同二十四年)に見出されるべきである」とも言ってくれた。そして、私が研究論文に感じたような枠組みを「幻想の近代」とし、透谷の描く内面に「現実の近代」を見る。連載のせめてここだけは読んでおきたい。