書き直された『ヘヴン』(その4)

 今回が最終回。いままで同様、削除された部分追加された部分私のコメント、である。
 情熱大陸」で紹介された改稿部分も記しておこう。6章177ページ。地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。ここがすべてだ。そしてそんなことにはなんの意味もない。そして僕はそれが楽しくて仕方がない。番組では、「群像」に出す前は原稿用紙800枚あったのを400枚まで切り詰めた、と未映子は語っていた。コップについた水滴のような、細かい描写を削って減らしたそうだ。
8章223ページ。以下、最後のくじら公園。「こんなのいつもだよ」と女子が言ってコジマの背中に靴のうらをあててこすった。「あ、あたしさっきウンコ踏んだかも」「いいよ、もともと汚いし」ここは改稿やめてほしい。続く三つもそんなのばかり。くどいよ未映子
8章226ページ。「うるせえよ。勝手にしゃべるんじゃねえよ。脱げよ」
8章227ページ。「なにを、言ってるんだ」と僕は言った。声がぐらりとふるえたのがわかった。
8章230ページ。石を持つ主人公。二ノ宮を打とうと思えばできる。それからそのすきに起きあがれなくなるまで頭に打ちつけてやればいいじゃないか。すっきりするし、コジマも守れる。以下ふたつ、この問題に関する書き直し。
8章230ページ。やってみればいいじゃないか。なんでそれができないんだ? 君はなんでそれができないんだ? なんで、それができないんだ?最後の一文は傍点が付されている。
8章230ページ。僕は石を手に持ち、ふりあげたまま二ノ宮に飛びかかるところを何度も想像したけれどそんな想像はうまくできなかった身体は動かなかったしかし想像がいったいなんだというんだろう。想像が足りないのだろうか。僕は石をふり落とすところをもう一度頭のなかで繰りかえした。でもうまくいかなかった。僕は石を持ったまま息を吐いた。百瀬が言うとおり、できることならそれはできることだった。想像なんて実際の行動にくらべてなんのちからもなかった。良いも悪いもない、それは単純にできることだった。いま僕にするべきことがあるとしたら、それは戦うことなのじゃないか。とにかく僕は、この石を持っていま二ノ宮にむかわなければならないのじゃないか。そうするべきなんじゃないか。この問題に関する推敲が「想像」をめぐってなされていることが興味深い。
8章231ページ。かくて暴力の世界に踏み込もうとする主人公を、コジマが自らの崩壊をもって阻止する。けれどいま僕の目のまえにいるコジマの目にはもうどんな感情もこめられてはいなかった。コジマは何も見ていなかった。なにも見ていないコジマの目を見て、僕はそのことを思い知ったのだった。主人公は最後にこの事件の意味を「僕たちがこのようにしてひとつの世界を生きることしかできない」ととらえる。
 9章はここに紹介するほどの改稿は無し。結末。目の手術が終わり、主人公に美しい世界が拓ける。ならば、コジマだってもし身なりを改めれば、きっと同じ美しい世界を見ることができた、と考えてもいい。「ひとつの世界を生きることしかできない」という絶望はここで否定されている。コジマの犠牲があって成り立つところが哀切である。