書き直された『ヘヴン』(その3)

 最後まで終わらなかった。8章の途中まで。前回同様、削除された部分追加された部分私のコメント、である。ところで、川上未映子が出演してる映画「パンドラの匣」が気になるのだが、「パビリオン山椒魚」の監督の作品だと知って二の足を踏んでいる。テレビで放送されるのを待つか。
8章209ページ。母に目の治療について話す。母さんは僕の話をきき終わるとしばらく黙っていたけれど、あなたはどうしたいのかとたずねた。僕はまだわからないと答えた。「どうしたらいいのか、よくわからないんだ」もうわかってる。前章の改稿でそれはより明確になった。あとは他人の承認が必要なだけなのだ。
8章210ページ。返事の無いコジマに何度も手紙を書く。僕はまた手紙を書いた。目の話じゃなくても、まえみたいにもっと違う話でもいいから、また話がしたいです。少し早いけれど、冬休みにまたどこかにでかけませんか。それに僕はまだ、コジマのヘヴンの絵を見せてもらってません。僕はあの日のことをよく思いだしています。
8章214ページ。マスターベーション、その2の1。ティッシュペーパーを用意していなかったので僕は左手で精液を受けた。指のすきまからこぼれてしまうくらいの量の精液をだしてしまうと少しだけ落ちついた気がしたけれど、手を洗いにゆき、それから部屋にもどってベッドで横になって本の続きを読んでいるとまたすぐにペニスはかたくなりはじめ、しばらくそのままでいたのだけれどじっとしているのがすぐに苦痛になってきた。
8章216ページ。マスターベーション、その2の2。コジマを考えながら。僕はコジマの身体のなめられるところのすべてをなめつくして、それからまた唇を吸いにもどった。するとその顔は教室でいつか見た、あの女子生徒のものになっていた。彼女は僕を見ていなかった。まっすぐに切りそろえられた前髪の下の大きな目はどこか違うところを眺め、僕は彼女のなかに入るところを想像して手を動かしつづけ、そしてすぐに射精をしてしまった。精液のでるリズムにあわせてコジマのイメージがもどってきた。射精にむかってうかんでくる快感のうすれた射精の余韻のなかのコジマはふっくらとして、すこし困ったようなやさしい顔をして僕を見ていた。それは僕のとてもすきなコジマだった。その幸福感のなかでする射精は、これまでのどんな射精とも違っていた。けれど射精の瞬間にその温かで静かな興奮はしぼむようにうすれてゆき、そして最後の精液が出てしまうと、さっきまで明るくやわらかだったコジマの顔はみるみるうちに冷たくなり、表情がはがれおちたぼんやりとした目をして、こけたほおをしたコジマが僕を眺めているのだった。3章と合わせて考えると、どうやら、マスターベーション未映子にとって重要なシーンらしい。
 前回に述べた、「それが僕が見た最後のコジマの姿になった」について。目の治療が終わった主人公は、医者から「自分が斜視だったこと」を「完璧に忘れると思うよ」と言われる。しかし、問題の一文を、大人になった主人公の回想ととれば、彼は斜視をめぐるいろいろ、特にコジマを忘れられなかった、ということになろう。ちなみに、似たような感触を私に与えた他の小説は『罪と罰』である。どっちも読んだ方は「そうそうあそこ」と同意してくださるだろう。