長月の一番、吉浦康裕「イヴの時間」

 こないだふれた村上裕一のゼロアカ最終論文が「イヴの時間」に言及しており、これは何のことだ、と思って検索したら、ネットで配信されてるアニメだった。第一話しか見られず残念だったが、このたび全六話が完結したのを機に第二話からも再配信され、ぜんぶ見ることができた。
 ロボットが家庭にも普及して家事を手伝うほか、いづれピアノ演奏や学校教育も任されるようになるかもしれない、そんな近未来が舞台である。ロボットの外見はほとんど人間と見分けがつかないほどよく出来ている。主人公の家にもそんなアンドロイドがあった。従順なしもべなのだが、行動履歴に不審がある。主人公が友人とともにその跡をたしかめたところ、たどりついたのは「イヴの時間」だった。こうして物語は始る。
 ロボットと人間の違いを考えるとき、まづ問題になるのが心の有無である。これについては09/08/29大森荘蔵「ロボットの申し分」を紹介した。村上は「イヴの時間」を語る際に永井均を援用したが、この作品のテーマは大森哲学の方が似合ってると思う。それは、主人公の友人に気をつけて最終回まで見ればわかるはずだ。
 「イヴの時間」のような時代がほんとにくるだろうか。私が生きてる間は無理だろう。永遠に無い、と言われても驚かない。けれど、リアリティを感じる。神や幽霊やタイムマシンを信じない人間でも、聖書や怪談やSFを面白いと思う感性と同じだろうから、不思議は無い。でも、不思議は無い、と思える気分が不思議である。