「新潮」8月号、青山七恵「山猫」

 周囲が若い女性ばかりの職場に居たことがあって、その何年間は万巻の書も及ばぬ勉強になった。まったく学ばぬ鈍感な男性の同僚も多い。私が幸運だったのは、占いを趣味にしており、彼女らからいろんな話を聞くことができたことだ。その経験を一言でまとめるのは不可能だが、一例として、女性は自身の欲望は表面化させない。本音は黙ったままで、他人に言わせたりする。そのとき、本人は自身の本音がわかってないことさえあるのが要点だ。転移の名人なのである。『1Q84』で言うと環がそうだ。彼女は家を出るべきだが、「しかしそれができないのだ」と村上春樹は書く、そして、彼女の本当にやりたかったことは青豆が引き受けることになるのである。
 青山七恵「山猫」は例によって他愛の無い家庭の事件が語られる。東京見物の女子高生栞が親戚の新婚夫婦秋人と杏子の家に数泊する話である。客も主もそれぞれ慣れない立場にぎこちなく、それが作品にユーモラスな基調を与え、楽しく読ませる。
 秋人と杏子の視点が入れ替わりながら描かれているだけで、栞が何を考えているかわからない。彼女は寡黙で従順なようだが、杏子に対して、良き読者にしかわからぬようなささやかな嫌がらせをしている。それを秋人の口を通して、杏子に気付かせるのが狡猾だ。気付いた杏子も「へえ、そう」と微笑んで、怒りは見せず踏ん張ったのが、いわゆる女の意地である。秋人は自分が伝えたことの意味をわかっていない。鈍感な男の役まわりだが、さすがに微笑のただならぬ凄味は感じて気圧される。たぶん作者はそこを書きたかったのだろう。そして要点を確認すれば、栞は意識せずに狡猾さを発揮しているのが末おそろしい。結末の印象的な一文は、この一件の自分が彼女自身にも謎であることを示している。