十年前の「文芸春秋」3月号を読んだ

 東京大学総長蓮實重彦のインタヴューがあった。「国立大学独立行政法人化への反論」と題されている。「独立行政法人化の問題は、大学改革の論議とはまったく別に、行政改革の流れの中で突如、国立大学も行政の一環だからというくくり方でその対象に組み入れれられてしまったものです」。私はこの問題がいまどうなってるのか、ぜんぜん知らない。目にとまったのは別のふたつの発言である。
 「日本の理系の学者さんというのは、本当に自分をアピールするのが苦手のようですね」、だからなかなかノーベル賞をもらえない。受賞してもおかしくない人として、戸塚洋二、小柴昌俊益川敏英野依良治を挙げている。このうち三人の受賞が実現していることに驚いた。一人、戸塚が外れたようだが、彼は受賞せぬまま亡くなっている。
 また、自身が学生だった当時の東京大学を振り返る。「先生方は、学問は教えるものじゃない、自分で学び、発見せよ、という姿勢だった」「結局のところ当時大学に何があったかというと、雰囲気なんですね」「でも実をいえば、私は当時の仏文研究室に宿っていた一種のサロン的雰囲気に強い反発を覚えていたのです。こんなものは大学じゃなかろうと」。パリに留学して、やっと「高等教育とはこれなんだ、と思いましたね。教育に対し高い意識を持っている教授が、学生と一対一で向き合ってくれる」。
 これについては、八年後の「中央公論」二月号のインタヴュー「本当は教育が嫌いな日本人へ」の方が詳しい。何度もレポートを提出しては直してもらったパリを回想して言う、「あれこそ教育です。そういった指導が日本には欠けていますし、もしかすると別のものを教育だと思っているのかもしれません。それが「日本人は教育が嫌いだ」と言う所以です」。八年前と後と同じようだが、大学院についての発言が微妙に違う。前はこうだった。

 国家公務員は、博士号を持っていても給与の等級が学卒者に対し一つ上がるだけなのです。つまり苦労して博士号を取っても大して得にならない。より深く学問を追求したという実績が評価されない社会システムなのです。これでは、じゃあ学部を出ればそれでいいやとなってしまいますよ。でももっとお金に響くようになれば、みな博士号を取るために大学に入り直すと思うのです。

 「日本の官僚ほど学歴の低い官僚は世界にいません」、せめて博士号くらい取れよ、と言う。もちろん、これは学歴社会を強化したいわけではない、「いや、つまり何か学問的なテーマに関して思いをめぐらす時間の長さの問題なんです」。じっくりと学問を積んだ官僚と大卒の官僚とは「その志の中身はおのずと違っているはずです」。しかし、八年後の述懐は苦い。蓮實が大学改革にどんな役割を果たしたのか、私はぜんぜん知らない。とにかく「改革」反対の立場で語っている。

 日本の大学にとって不幸だったのは、大学「改革」のある段階で、「大学院重点化」が始まり、人々の関心が初年次教育の対極に向かってしまったことです。(略)一番感受性の強い二十歳前の若者たちに、いかにして知的刺激のシャワーを浴びせるかという課題から、大学のスタンスがやや遠ざかってしまったことは否めません。(略)「大学院重点化」により「○○大学大学院教授」という呼び名になった人たちが、初年次教育の現場になかなか出ていかなくなった影響は大きいと思います。

 最近の大学院で私の知ってるのは、馬鹿でも博士号が取れるようになったことだ。そして、水月昭道の書いてるような「高学歴ワーキングプア」がたくさん生まれたことだ。たぶん、大学院重点化は良くなかったんだろう。蓮實が指摘する原因として、「改革」が法律を作っただけで終わったこと、学生でなく教員の待遇を最初に考えたこと、を挙げている。