文月の一番「すばる」7月号、荻世いをら「彼女のカロート」

 お墓のメンテナンスをするのが主人公の仕事だ。有名人からの依頼がある。ニュースキャスターの女性だ。と言っても、彼女はここのところ休んでいる。耳が聞こえなくなったからだ。主人公の仕事内容よりも、彼女の症状に小説の主眼がある。
 彼女が有名であるのは、彼女の仕事よりも、夫が最高の野球選手であるからだ。夫は彼女を礼賛している。もちろん彼女も夫を尊敬している。ただ、主人公の視点で描かれるこの小説を読む限り、希薄な夫婦関係である。
 それに関して、主人公はただ見るだけであり、「実は希薄なのでは」とか疑わないところが好ましかった。たとえば、女性が描く夫の肖像はフランシス・ベーコンのようなグロテスクな画風である。たいていの来客はそれが夫の肖像だとは思わぬそうだ。しかし、彼は見抜く。けれど、それだけ。これは逆に言うと、彼自身の夫婦生活に関する鈍感さにもつながっているようで、そこは作者も書きこんでいる。
 だから、読者が「実は希薄なのでは」と考えるべきだ。女性は主人公にいろんな話をする。たとえば、夫は一回だけ浮気をして、それを泣きながら彼女に懺悔したことがある。女性はあっさり許す。主人公はそれを聞く。けれど、それだけ。しかし、読めばわかるようになっている。この一件がショックで女性は耳が聞こえなくなったのだ。
 人が傷ついている。症状は誰の目にも明らかだけど、何に傷ついているのか本人は気がついてない。語り手としての主人公にもわからない。きっとこの傷は多くの人にかぶさっている。たぶん私にも。この主人公が他のいろんな客と出会って、人間観察を重ねてゆく、そのうちだんだん自分の傷も観察できるようになってゆく、そんな連作があってもいいな。
 ところが、「群像」八月号「創作合評」で富岡幸一郎は、「耳が聞こえなくなるようなトラウマも彼女には特にない。原因と結果の結びつきが出てこないですよね」と言ってのけた。相手する鴻巣友季子円城塔も否定しない。これまでの「創作合評」やこの三人の書いてきたものから判断して、これは私が間違っているのではないと思う。
 変わった名前だから荻世いをらには読んだ記憶があった。作品を思い出せない。調べたら、「群像」昨年一二月号「逆光」のようである。読み返したら悪くなかった。自分の気がつかない自分について書いてある点で「彼女のカロート」に似ている。これも「創作合評」で取り上げられていた。やはりひどい。内容からして、永井均に解説してもらいたかったな。