『1Q84』まつり、補遺。

 『1Q84』のガイド本をさらに三冊読んだのでざっと。洋泉社MOOK『「1Q84村上春樹の世界』は一番便利だった。地図とか写真とかあって資料集として使える。これだけは買ってあげた。村上春樹研究会『村上春樹の『1Q84』を読み解く』は急いで作った雑な本。5月に『1Q84』が出て原稿を6月に書き始めて7月に締切、 と書いてあった。チェーホフにも金枝篇にもダウランドにも、ふかえりの父のモデルにも、ヤマギシにも、その他もろもろにも何もふれない。ちなみに、空気さなぎ調査委員会『村上春樹1Q84」の世界を深読みする本』というのもあって、ざっと立ち読みしたが、思いつきを並べるという点で類似した印象だった。急いだかどうかは本の出来とあんまり関係無いようだ。
 鈴村和成『村上春樹・戦記/『1Q84』のジェネシス』は冒頭八〇ページが『1Q84』論である。三十分で読み切れた。私としては速い方で、つまり中味は薄かった。「チェーホフにも金枝篇にも、、、」という点は村上春樹研究会と同じである。その代わり、もろもろの春樹作品との関連で『1Q84』を語ろうという立場だ。そこは便利な本である。

 Book3 が用意されているのではないか、という憶測が流れている。そういう憶測をすること自体が、じつはもう村上の脱構築の術中にはまっているも同然なのだ。村上にはどんな用意もないだろう。彼の小説の《終わり》はいつでも次の小説に接続するように構成されている。換言すれば、脱構築されている。その先があるかどうかを問うこと自体が、意味がないのだ。先はあり、先はない、としか言うことはできない。

 「精緻きわまりない仕方で脱構築されている村上の小説」という言い方もあった。脱構築が「精緻きわまりない仕方」を要求するものだ、というのはいい。しかし、それが「村上の小説」だろうか。「毎日新聞」9月30日に春樹のインタヴューがあって、彼はこう語っている。

 もともと僕は筋書きを考えないで頭から書いていくタイプだから、物語の自由な進行というのはすごく大事になってくる。頭から順番に最後まで書いていくというとみんな信用しないけど。伏線なんかも特に考えなくても、知らないうちにあとで効いてくるんです

 これはしかし、書きっぱなしで「あとで効かない」ままの伏線がたくさんある、ということの裏返しだ。Book3 が来夏に出る、ということをすでにわれわれは知っている。『1Q84』が「締りのゆるーい小説」でたいていの解釈を受け容れてしまう、とは090812 に書いた。もともとしっかりした構築が無いから、いくらでも横すべりに増築できる種の建物のようなもので、脱構築を語ることに意味が無い。
 たくさんの解釈を生んだのは「リトルピープル」だろう。最近のネットで見つけた例では、chez sugi で、春樹の訳したオブライエン『世界のすべての七月』が挙げられているのがなるほど。「リトル・ピープル」という章があり、身長138cmの人物が出てくるのだとか。ほか、リトル・ペブルを教えてくれた猫を償うに猫をもってせよには笑った。