小林秀雄講演CD『宣長の学問/勾玉のかたち』

 小林秀雄の講演CDはこれで八巻になった。すべて持っている。この八巻目に収められたのは「宣長の学問」と「勾玉のかたち」だ。他の七巻に比べるとやや落ちる。後者がひどいのだ。話す内容が何も無い状態で演壇に上がってぼそぼそと時間を潰しておしまいである。
 それでも、小林秀雄ファンなら持っておきたい一巻だろう。二〇〇二年から三年にかけて、小林秀雄の生誕百年を記念した展覧会が全国各地を巡回した。彼の愛した絵画や骨董を集めたものだ。その図録『美を求める心』を見ると、秀雄が所蔵していた勾玉が八点収録されている。講演はこれを集めていた頃かもしれない。勾玉に関する随筆が私は記憶に無いので、こんなろくでもない録音でも新鮮に聴いたのは確かである。胎児を思わせる形体だ、と述べていた。図録の写真を見れば納得できよう。
 「宣長の学問」は『本居宣長』の連載開始早々の昭和四十年の講演である。石川則夫の解説が第三巻の講演と比較している。『本居宣長』完成後昭和五十三年の講演だ。石川によれば、「40年の講演の核心部にあることとほぼ同様なことが53年の講演でも語られている」。同感である。でも、核心部の同一なんかより、微妙な違いの方に私は打たれた。
 どちらの講演でも秀雄は、従来の宣長像について、矛盾するふたつの顔があった、と語る。非合理的で狂信的な国家主義者と、合理的で実証的な古典研究者である。昭和四十年の講演では、「それ以外にもうひとつの人間」の宣長がいるのではないか、それを見つけたい、と述べている。昭和五十三年の講演では、一人の人間にふたつの顔があるわけがない、ひとつに決まっている、と語気強く断言している。それがわかるためには「十年かかった」。宣長を熟読してやっとわかった、と。
 キーワードは「熟読」である。昭和四十年の講演でも言っている、伊藤仁斎論語を五十年読んだ、宣長古事記を三十五年読んだ、いまの読書家は次から次へと読み漁るだけで熟読をしない、読書の意味が古人と現代人では違ってしまった、その違いを越えて昔の読書を想像することがとても難しい。けれど、昭和五十三年の講演では言うわけだ、「わかった」と。ちなみにCD第五巻でも宣長を熟読した話をしている。それによると、要するに熟読とは、書いてあることを何度でも読みなおすことだ。それだけである。

 訓詁の長い道を徹底的に辿ってみた、彼の何ひとつ貯えぬ心眼に、上ッ代の事物の、あったがままの具体性あるいは個性が、鮮明に映じてきた。そこに直観される、事物の意味合いなり価値なりが、そのまま承認できない理由など、彼には、どこにも見当たりはしなかった。(『本居宣長』)

 古事記を読み解く合理精神の持ち主が、荒唐無稽の古事記の伝説をそのまま信じ込んでしまったとしても、別に矛盾する二人の人間が宣長の中に同居していたわけではない。秀雄の熟読はそんな宣長像を導いた。分人主義のような「私の複数性」とは違うかもしれない。昭和四十年の講演では、「もうひとつの人間」という言いかたをしていて、少なくともこっちの方が分人主義的だけど。