「新潮」9月号、朝吹真理子「きことわ」

 子供の頃に夏を過ごした別荘が無くなる、という話だ。二年前に軽井沢タリアセンに移築された朝吹山荘をちょっと連想させる。ほか、こんな場面が気になった。

「これかけていい?」
 和雄がカセットテープをかえる。聞き覚えのない音に春子が曲名をたずねる。
「E2-E4」
「チェス?」
「そう。棋譜が音楽になってる。E4からはじまってステイルメイトで終わる」
 和雄はこの曲がどのような棋譜になっているのかを想像するのが愉しいと言った。しばらく曲を聴いていた春子は、「じゃあ、C5」とブラインドチェスのまねごとをはじめる。「またその手ですか」と和雄がすぐに応え、ふたりは数手やりとりをすすめたが、「もうわからない」と春子がハンドルから手を離し、あっけなく降参した。ボビー・フィッシャーの書いたチェスの入門書まで貸したのにいっこうに春子は上達しないと和雄はごちる。

 最後まで読むと、「E2-E4」はマニュエル・ゴッチングの曲だとわかる。一般には「ゲッチング」と呼ばれてるようだ。さっそく買って聴いた。スティーヴ・ライヒを大衆音楽にしたような曲だった。均質なリズムが一時間ほど続く。ときおりそれにチャラチャラとエレキギターが差し込んでくる。一九八四年に発表された当時は酷評されたものの、いまではハウスのはしりとしてそっち系の人たちには古典として尊重されてる名作らしい。You Tube でちょっと聴くだけでも充分理解できる。「きことわ」には「十八人の音楽家のための音楽」も言及されているから、ライヒを思ったのは見当違いではなさそうだ。
 「E2-E4」のジャケットはチェス盤を模している。チェスの多くは、盤のe2 地点の駒をe4 地点に進めて始まる。華々しい戦いは終盤に入ると、盤上の駒がほとんど消えて、静かな、しかし、注意深い配慮の必要な段階を迎える。そして、しばしば、駒がまったく身動きできない状態で進行が止まる。これをステイルメイトと言う。引き分けだ。「E4からはじまってステイルメイトで終わる」とは、そういう意味だ。「E2-E4」は九つのパーツに分かれた曲で第九部は「引き分け」と題されている。ステイルメイト以外の引き分けはたくさんある。なぜ和雄がステイルメイトに限定したのかはわからない。なにより、「E2-E4」は聴いた限りでチェスと関係ある曲とは思えなかった。
 初手e4 に対し、相手がc7 地点の駒をc5 地点に進めて応じるのは優秀な定跡だ。シシリアン・ディフェンスと言う。「きことわ」でも言及される。ボビー・フィッシャーはこの達人だった。空前絶後の破壊的な勝率で一九七二年に世界チャンピオンになった英雄である。その苛烈な棋風のほか、対局拒否や雲隠れや偏向した政治思想など、痛ましささえ覚えるエピソードも多い。六年前に成田空港で入国管理法違反容疑でつかまった騒動を御存知の方も居よう。彼の書いた入門書は日本語訳もされた。春子が貸し与えられたのもそれだろう。簡単な問題集を主にした入門書だ。普通の入門書は定跡と基本テクニックの解説が主だから、かなり変わっている。なお、「ブラインドチェス」は盤も駒も使わず、局面を脳裏に描いて行うチェスだ。一九三七年にコルタノフスキーは三十四人を同時に相手にして、二四勝〇敗一〇分だった。
 何が気になったかと言うと、ステイルメイトとかフィッシャーとかシシリアン・ディフェンスとかブラインドチェスとか、朝吹真理子はそこそこチェスを指すのではないか、ということだ。「将棋を打つ」なんて書いた蓮實重彦よりは強そうである。