柄谷行人「哲学の起源」(1)「新潮」7月号

 第一章「普遍宗教と哲学」 普遍宗教については『世界史の構造』で説明された。私の要約では11/07/27 のあたりだ。簡単に言えば、政治権力と貨幣経済のもたらす不自由や不平等に対抗するため、それらの無かった共同体の時代を現代的に回復しよう、という運動である。ただし、普遍宗教が宗教である限り、いづれ国家や保守的な共同体に回収されてしまう。仏教が葬式仏教に堕落したように。そこで、柄谷行人が本章で提起したのは、この運動は「宗教というかたちでしかあらわれないだろうか」である。答として彼が見出したのは古代のイオニア諸都市の思想家たちであった。
 第二章「イオニアにおけるイソノミア」 柄谷行人イオニアの社会とアテネの民主制との違いを強調する。「イオニアにあったのはデモクラシーではなくて、イソノミアである。イソノミアとデモクラシーは異なるものなのだが、ほとんど同一視されている」。簡単に言えば、イソノミアは無支配であり、デモクラシーは多数派支配である。政治権力は市民の平等を守りながら市民の自由を奪うし、貨幣経済は市民を自由にする一方で格差を拡大し平等を奪う。その逆もあろう。この両者の矛盾と折り合いがデモクラシーというものなのだが、イソノミアにおいては自由と平等が両立していた。
 イオニアにおけるイソノミアの成立において、柄谷が重視するのが「イオニアの諸都市が、氏族伝統をもたない植民者たちによって形成された」ことである。定住という氏族伝統と、移動という植民が対比される。後者の方が「根源的」だと書く柄谷は、氏族社会から話を始めた『世界史の構造』の著者を超えようとしている。「イオニアの諸都市に生じたのは、このような移動の可能性がもたらす、自由=平等である」。イオニアの交易は政治権力が主導するのではない私的交易であった。「それは商工業者のネットワークによってなされた。イオニアのポリスは、ある意味で、このような商工業者たちの評議会なのである」。国家による交易の独占が無ければ経済がただちに不平等をもたらすことは無い。そして、国家の専制が始まるなら「人は別の所に移動すればよい」と柄谷は言う。これに比べればアテネは氏族社会を基礎にした国家主義的なポリスであった。
 感想 『世界史の構造』を読み終わって書いたように、柄谷行人は文学から離れたようでいて、その仕事は文学的である。この連載第一回も同じ感想である。「文学の起源」として読んでいい内容になるのではないか。もちろん、それは「近代文学の起源」ではない。また、彼の活躍に最も適した場は文芸誌であるように思う。実際、『世界史の構造』刊行後の座談会なども文芸誌がほとんどだった。
 柄谷行人が移動を重視することについて、合田正人吉本隆明柄谷行人』を引用しておく。合田は吉本と柄谷に関して、「何らかの理由で動けない者、望む場所にいることのできない者たちの姿がいずれの発言からも見えてこない」と述べている。