三島由紀夫賞、前田司郎『夏の水の半漁人』

 書き出しは期待させたが、読み進めるうちだんだん心配になってきた。これの受賞理由って、「誰もが通過してきたはずなのに忘れてしまった子供時代のささいな出来事の数々をみずみずしい感性によってよみがえらせた」とかなのでは。まさかねえ、と「新潮」七月号を確かめる。辻原登の選評を読んだ。

 大人になった我々が、自分にも当然あったはずだと夢想している子供時代の自分。だが、ほんとうにそんなものがあったのだろうか。(略)小説はそれを形あるものにして、たのしませてくれる。

 私の危惧をきわどくかわしてるようでいて実のところ丸当りではないだろうか。ほか「受賞記念インタビュー」には「どのようなきっかけで書き始めた作品だったのでしょう」という問いに対して、前田司郎は、「子供の頃の繊細な気持ちを思い出して欲しくて、とかそいう動機はありませんでした」とひとまづ言っておきながら、「ただ僕は記憶の中の子供にある種の聖性を感じていて」云々という話にもってゆく。
 ありがちな感動をおぼえました、ありがちな動機で書きました、と恥じらいながら白状した方がすがすがしい。それならたとえば私が落選者だったとしてもたぶん憫笑で済ませられる。ありがちが取り柄の小説だと思う。