2009-01-01から1年間の記事一覧

『1Q84』まつり、補遺。

『1Q84』のガイド本をさらに三冊読んだのでざっと。洋泉社MOOK『「1Q84」村上春樹の世界』は一番便利だった。地図とか写真とかあって資料集として使える。これだけは買ってあげた。村上春樹研究会『村上春樹の『1Q84』を読み解く』は急いで作った雑な本。5…

去年と今年の新潮新人賞、特に選評

飯塚朝美は三島由紀夫っぽい。いまどき珍しい本格志向である。昨年に新潮で新人賞を獲った「クロスフェーダーの曖昧な光」には『金閣寺』が使われていた。この時の選評は後に「群像」の「侃侃諤諤」でも話題になったように、ほとんどの選考委員がとげとげし…

閑話。

結婚してからわかったのだけど、嫁は鉄子なのであった。テレビに映った小海線に私が興味を示した瞬間を見逃すわけは無い。ぱたぱたっと宿と列車が手配されて、当日は朝の五時に堺を発ち、連休初日の午前中には私たちは小淵沢のホームに立っていたのである。…

「新潮」10月号、朝吹真理子「流跡」ほか。

これまで私は十三回も東浩紀「ファントム、クォンタム」について書いてきた。うまく読めてないからそうなる。量子脳やSFの素養が無さすぎるのが一因かなあと思って、ペンローズやイーガンを読んだ。読後感は、「理系方面をマニアックに読み込んでも、『新…

「ミステリーズ」33,35,36、東浩紀「押井守とループの問題」

押井守は好きだ。昨年の『スカイ・クロラ』は二度見た。DVDでも見直した。『天使のたまご』や『御先祖様万々歳』第1話2話をさしおいて、これを彼のベスト1に挙げたい。救いようの無い閉塞感の中でたんたんと結末まで進行するところが良い。 嫁が森博嗣の…

芥川龍之介「蜘蛛の糸」

芥川龍之介「蜘蛛の糸」(1918)は子どもの頃から不可解な話だった。それは専門家もよく言ってることである。例によって「蜘蛛の糸」にも種本があって、それと比較するとわかりやすい。 ケラスというドイツ人の『カルマ』(1894)が種本である。それをトルスト…

平野啓一郎『ドーン』(その2)

複数の自分、複数の世界、という題材は新鮮ながら、往々にしてかえって主人公の古色蒼然たる幼稚な自己肯定にいきついてしまう。自分のほかにも自分は居るけど、いまのこの自分は一人だけで、それは掛け替えの無い存在なんだ、という考えである。09/08/21 で…

平野啓一郎『ドーン』(その1)

ニーチェ「権力の意志」には、「主観を一つだけ想定する必然性はおそらくあるまい」という一節がある。柄谷行人が「内省と遡行」の連載第一回でこれを引用したのは一九八〇年のことだ。私が読んだのはその四年後だったと思う。まだ本になる前だ。この引用に…

「ヘヴン」まつり

7月12日の毎日放送「情熱大陸」で「ヘヴン」の難産ぶりが紹介されたこともあって、「群像」八月号はすぐ売り切れてしまった。新聞の時評も好意的だったようである。当然「群像」は九月号の「創作合評」でたっぷり扱い、十月号には作者のインタヴューも載っ…

長月の一番、吉浦康裕「イヴの時間」

こないだふれた村上裕一のゼロアカ最終論文が「イヴの時間」に言及しており、これは何のことだ、と思って検索したら、ネットで配信されてるアニメだった。第一話しか見られず残念だったが、このたび全六話が完結したのを機に第二話からも再配信され、ぜんぶ…

小池昌代のドローイング展

目白のポポタムという小さな店で15日から19日まで小池昌代のドローイング展をやっていた。絵の描ける人なのである。たまたま上京の用事があって最終日に寄れた。彼女の公式ページ にもアップされてる絵が、だいたいA4判ほどのを中心に30枚以上あって、五千…

古井由吉『漱石の漢詩を読む』

吉川幸次郎『漱石詩注』は岩波文庫に入っているが、二十数年前は岩波新書だった。そして品切れだった。古本屋で三千円もしたものである。なんとか安いのを見つけて買えた時はうれしかった。しかし、読んでもよくわからない。『漱石詩注注』があればなあ、と…

閑話。

いろんなブログの感想文を読んでいると、高評価の規準に「よみやすい」というのが多い。慣れ親しんだ価値観や世界観が良いんです、ということだろう。そんな、読まなくてもわかってるようなことを、わざわざ時間をかけて読書する、という彼らの感覚が私には…

群像7月号、田中慎弥「犬と鴉」

十月号が出ている世間に向けて七月号を書くのは気が引けるが、たった三〇ページ強のこの小説は、ちゃんと読むのに時間がかかったのである。読みにくいったらありゃしない。作品として主題を読むなら、つまり、なに言いたいんだよ、というレベルなら、「群像…

「新潮」8月号、青山七恵「山猫」

周囲が若い女性ばかりの職場に居たことがあって、その何年間は万巻の書も及ばぬ勉強になった。まったく学ばぬ鈍感な男性の同僚も多い。私が幸運だったのは、占いを趣味にしており、彼女らからいろんな話を聞くことができたことだ。その経験を一言でまとめる…

中原中也「サーカス」

私が最初に詩集を買ったのはたぶん高校一年の時で、新潮文庫の西脇順三郎、アポリネール(堀口大学訳)、角川文庫の中原中也だった。西脇がいちばん私の性に合っていると思うが、若気のいたりでハマったのは中也だった。おかげで今でも読むことがある。そし…

葉月の一番、「群像」8月号、川上未映子「ヘヴン」

川上未映子については何度か書いた。言葉づかいは変わってるが、だいたい日常語や標準語に翻訳できる。それでも誰とも異なる理解しがたい私的感覚を持つことへのこだわりが、あの文体を書かせている。「新潮」七月号の「すばらしい骨格の持ち主は」で彼女は…

ゴーストとファントム(その2、東浩紀)

機械は心を持つのか、というのはそんなに新しい問題でも難しい問題でもない。多くの知人に「機械と人間の違いは何か」と訊いたことがある。「機械には心が無い」というのが私の予想した多数意見であり、事実そうだった。「すると」と、私は用意した第二問を…

ゴーストとファントム(その1、村上裕一)

もう大昔のこと、ディープブルーがカスパロフに勝ったとき、私の思った素朴な疑問がある。複数のCPUをつなげたディープブルーを一台と数えていいのか、それとも何台かの機械の連合体とみなすべきなのか。私の出せる答えはせいぜい「問いに意味が無い」だ…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その2)

この本には、私の知らない話、忘れてた話、軽視してた話、がたくさんあって、それが役に立った。一例だけ挙げておこう。 「週刊朝日」の緊急増刊「朝日ジャーナル」(04/30)に、浅田彰と東浩紀とほか二名の座談会が載った。ふたりの違いがハッキリする応酬…

佐々木敦『ニッポンの思想』(その1)

私は一九八四年から本を読むようになった。柄谷行人『日本近代文学の起源』(1980)がきっかけである。そのあとでバルトやフーコーやデリダを読んだが、"第一之書"のおかげで当時の私にとって、ポストモダンとは「近代という制度の批判」だった。ポストモダン…

『1Q84』まつり続(その2)、河出の『どう読むか』

『1Q84』に関する本が何冊か出ており、これからも出る。私は河出書房新社『村上春樹『1Q84』をどう読むか』を買った。悪く言えば大急ぎで作った雑な本だが、それだけに気楽に読める文化人評判集である。 概して低調な発言が並ぶのは仕方無かろう。一例だけ挙…

閑話。

新人監督アンドレア・モライヨーリの『湖のほとりで』を観た。ここんとこ日本アニメとかハリウッド製品ばかりだったので、イタリア映画を観たくなったのである。地味な映画だったのに口コミで大評判になってしまった、というのも気に入った。話は美しい山村…

『1Q84』まつり続(その1)、「新潮」9月号

「新潮」八月号と九月号に福田和也「現代人は救われ得るか」が載った。九月号には安藤礼二「王国の到来」も載った。 いろんな書評を読んだので、それらのパターンも見えてきた。たとえば、青豆の行う正義は人殺しであって、リーダーの悪と大差無いことを指摘…

「文学界」9月号、対談みっつ。

こないだの芥川賞はいかにも磯崎憲一郎に取らせようという布陣で候補作が選ばれ、順当に磯崎「終の住処」が取った。記念対談ということで保坂和志が相手になっている。最初の話題は、朝日新聞が受賞作をどう要約したか、だ。 ともに30歳を過ぎてなりゆきで…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その2)

昭和二十九年五月のことである。結核患者の入退院に関する入退所基準を厳しくする、という通達が厚生省より示された。これに対する反対運動を繰り広げたのが日本患者同盟である。『日本患者同盟四〇年の軌跡』(1991)によると、五月に大阪で二〇〇名が、六…

黒田三郎「引き裂かれたもの」(その1)

少なくとも刊行一年以内の新作だけを扱うつもりで始めたブログだが、半年続けてみて、「文学の終り」についての考えが変わってきた。目前の壇ノ浦を眺めるだけでなく、月に一回くらいは古い作品を書きたくなった。まづは黒田三郎「引き裂かれたもの」なんて…

文月の一番、新潮8月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」最終回(その2)

たくさんの読み違えを重ねつつ「ファントム、クォンタム」について書いてきた私だが、連載第一回から『存在論的、郵便的』との関連を指摘できたのは数少ない正解のひとつだ。「文学界」で連載中の「なんとなく、考える」第十三回(八月号)で浩紀はこう書い…

新潮8月号、東浩紀「ファントム、クォンタム」最終回(その1)

ついに最終回である。私の期待も予想もほとんど裏切られて、その点では不満も敗北感も大きい。でも、それはどうでもいいことだ。私は『1Q84』と比べながら読んで、並行世界や可能世界について考えた。東浩紀よりも村上春樹の方が話上手だが、この問題につい…

「文芸」夏号、中村文則「掏摸(スリ)」

変った職業を題材にする時は近代文学の手法が活きるはずだ。リアリズムにせよ、象徴主義にせよ。「文芸」夏号の中村文則「掏摸(スリ)」はその好例である。 参考資料にブレッソン『スリ』のDVDが挙がっていた。小説での財布を抜き取るリアルな指使いは、た…