芥川龍之介「蜘蛛の糸」

 芥川龍之介蜘蛛の糸」(1918)は子どもの頃から不可解な話だった。それは専門家もよく言ってることである。例によって「蜘蛛の糸」にも種本があって、それと比較するとわかりやすい。
 ケラスというドイツ人の『カルマ』(1894)が種本である。それをトルストイが訳している(同年)。英訳したんだっけ、忘れた。日本では鈴木大拙が『因果の小車』(1898)として訳している。芥川はどれを読んだのか、詳しい研究を知らない。私は邦訳トルストイ全集で『カルマ』を読んだ。『因果の小車』もざっと目を通したことがある。蜘蛛がつーっと下りてくる挿絵があった。『カルマ』で空から降りてくるのは「蜘蛛の糸」ではなく「蜘蛛の網」だ。縄梯子のイメージであろう。
 いろんな人が言うことだけど、お釈迦様は主人公に何の事情も伝えずに蜘蛛の糸だけを垂らす。それが芥川ヴァージョンのおかしいところだ。おかげで、主人公は悔い改めることも無く極楽に行く権利を得てしまう。思うに、芥川はお釈迦様の伝令役を書かなかったので、そんな変な構成になってしまったのではなかろうか。『カルマ』にせよ、『因果の小車』にせよ、蜘蛛が伝令役である。その場合、糸や網が切れれば蜘蛛は血の池に落ちてしまうはずである。子どもの頃から私はそれが心配だった。つまり、芥川は蜘蛛を助けたのではないか。 芥川龍之介蜘蛛の糸」は子どもの頃から不可解な話だった。初出「赤い鳥」創刊号には挿絵もあったが、どんなだったかな。
 大人になって気になったこともある。血の池って何だ?『往生要集』を調べても載ってない。わかってきたのは、『血盆経』という中国渡来の偽経に書いてあるということだ。生理や出産の血でこの世を汚してしまう、という理由で女性が血の池に堕ちる。古い地獄絵を何枚か見ると、たしかに女ばかりが血の池で苦しんでいる。それを救うのが『血盆経』だ。勝手に地獄を創造して、そこから救うという。偽経とはいえ宗教の正道を踏んでいる。
 するってえと、閻魔庁は「蜘蛛の糸」の主人公を女と鑑定したわけだ。