東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その7)
「ファントム、クォンタム」を読んでいて感心したのは、東浩紀にSF作家として充分やっていける筆力があることだ。往人、友梨花、理樹、風子の哲学の書き分けが明快だった。特に私が楽しんだのは理樹と風子の対比で、私は風子を応援していた。風子は理樹の説明を受け容れない。テロ現場に転送されたときでさえ、「理樹の長く複雑な説明を理解していませんでした」。並行世界に関する彼女の意見は、分岐説とでも名づければいいだろうか。たとえば、私がタイムマシンを使って関ヶ原の勝者を石田光成に変えても、われわれと異なる歴史の流れが分岐して生じるだけなのだ。私がもとの現代に戻って確認できたとしても、歴史の教科書には何の変化も無い。二〇三六年から二〇〇八年に転送された風子は言う。
わたしはシミュレーションでした。むろんすべてがシミュレーションでした。けれどもだからこそ、二〇三六年には別のヴァージョンのわたしが生きているはずでした。だからなにも心配の必要はないはずでした。それでもやはり、このわたしはもう帰れないのだ。汐子にも母にも会えないのだと考えると、少し寂しくなりました。
この議論に関して作者は風子より理樹を支持して書いていると思う。何より、手記を書く段階で風子は持説を維持できていないのではないか。よって、『クォンタム・ファミリーズ』でここは修正されねばならなかった。「わたしは理樹の説明を理解していました」と改稿されている。しかし、彼女は理樹の正しさをそのまま自分のものとしたわけではない。過去にさかのぼって二歳の風子が死んでしまえば、大人の風子は消えてしまう、それを彼女は認めるようになった。しかし、と思うのだ。すべてがシミュレーションなのであれば、どうせどこにも唯一の現実などないのだから、このわたしが消えようと消えまいと、わたしが生きていたあの感覚の現実性は(略)逆に決して傷つくことがないのだと、私はそう考えました。このわたしは二歳で死ななかった。
私は「このわたし」の特異性によって「私の複数性」を乗り越えようとする佐々木敦 や永井均 の理論を批判してきた。改稿風子の発言もその対象になるだろうか。確信は持てないが、なるような気がする。とはいえ、仮に私の批判が正当なものだったとしても、風子の次の一節を読むと、やっぱり『クォンタム・ファミリーズ』でも彼女に肩入れしたくなるのである。 理樹たちは、あらゆる可能性に介入することができる世界に生きていました。あらゆる人生の可能性、あらゆる決断の可能性をリテイクできる時代に生きていました。それは夢の世界でした。
けれども、と私は思いました。けれども、彼らはその技術の使い道をまちがっている、解釈を誤っている、貫世界通信は別の人生を夢見るためにあってはならない。この人生を肯定するために使われなければならない。