東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』(その8)

 第二部に入った。「8家族1」まで読んだ。連載では第六回にあたる。大きな改稿は無い、と思う。指摘する意味のありそうな箇所をひとつだけ。連載での理樹は友梨花に言う、「なにか重要なことを見落とし続けている気がするのです」。

 ぼくたちの転送によって隠されてしまったなにか。そもそもは、そのような転送そのもの、この一連のできごとそのものを不可能にしてしまうようななにかを

 友梨花は答えない。理樹はさらに問う。たいていの読者なら考えることだ。この世界での往人は二〇〇八年にテロリストの容疑で逮捕されていますか?これには「そうです」と友梨花は答える。ここが改稿され、答えの有無が不明のまま、節は途切れる。「見落とし」に関する疑問もこう書き変わった。

 なにか重要なことを見落としている気がする。この一連のできごとすべての底にあるなにか、いまぼくがここにいるということも含めてすべてを規定しているなにかを

 こう直さねばならない理由、そしてそれが重要なものかどうか、はいまの段階ではわからない。とりあえず記録しておく。
 「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」(『情報環境論集』2007年)を読み返していた。第七章に出てくる「図」を探すためである。「四つの円がZ型のベクトルでつながれた奇妙な図でした。右と左のそれぞれ二つの円をつなぐ直線が、上部で鉢を開き大きな扇形を形づくっていました。記号が付され、数式らしきものが乱暴な筆致で書き込まれていました」というやつである。追記。以下の記述について、「フロイトよりもラカンの図に近いのでは」というコメントをいただいた。たしかにそうだと思う。
 「上部で鉢を開き」あたりの符合する図が「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」に引用されていた。人文書院フロイト著作集』第7巻274ページにある、とのこと(追記。なんだ『ヒステリー研究』ぢゃん、ああ知らんことばかりだ)。浩紀は、「私たちはひとつの情報を、つねに同時に複数の経路を通じて処理する。したがって演算結果も複数でてくる。それら諸結果がたがいに矛盾し衝突することにより、ヒステリー症状や夢内容や失錯行為が生じる」と述べている。フロイトの考えていたのもそんなことだった、という説明に件の図が使われる。つまり、無意識とは人間にとって、意識と異なるもうひとつの情報処理の経路なのだ。ここから「私の複数性」も導かれる。
 追記。「大きな改稿は無い」って書いたが、理樹の目覚めの場面は大きいかも。転送された世界を彼は「滅びゆく世界」と呼び、母も自分も往人も風子も救えないが「この滅びゆく世界を救うためにこそやるべきことがある」と感じている。また、「ファントム、クォンタム」も『クォンタム・ファミリーズ』も、SFマニアが喜びそうな用語が連発されるが、前者のこの場面で使われた「確定記述補償定理」が後者には出てこない。おそらく、ある世界でF(x)を満たす唯一の存在があるなら、近接する並行世界においてもその関数の充足は補償されねばならない、という感じの定理だろう。『クォンタム・ファミリーズ』の転送はこれ無しで成立したわけだから、友梨花の恣意で転送相手が決まったことになる。「残酷」は連載でも改稿でも使われる語だが、その度合いは改稿の方が増すわけだ。もっとも、これは小さい改稿かもしれない。