「群像」9月号、佐藤友哉「ハサミムシのすえ」(1)

 昨年に佐藤友哉デンデラ」が芥川賞の候補にならなかったのは意外だった。けっこう話題になったのに。作者本人も思うところがあったに違いない。芥川賞計画なんて始めている。芥川賞の傾向を分析し、ネットを中心に意見や発想を募集して小説の大枠を決め、それを掲示板を使ってみんなで書き継ぎ、自分が編集し直して芥川賞を獲ろう、そんな計画である。二月にニコニコ動画で最初の議論があり、私はその頃だけ見ていた。題は「介護ガール」。老人介護について何にも知らない女の子が、ツイッターで介護法を募集しながら介護する話だ。きっと『電車男』みたいな感じだ。純文学と無縁の若年層を巻き込んで純文学界に活を入れよう、という運動だと思う。もちろん、実際は純文学と無縁の方向に進むに違いないし、どうせ保守的な芥川賞選考委員に嫌われるだけだ。私はこんな悪趣味が嫌いぢゃないからそれは良い。ちょっと気に食わないのは、「あわよくば」という色気が佐藤にちらつくことである。遊ぶ時はしっかり遊んでほしい。
 「群像」が「戦後文学を読む」という企画を続けている。これまで四回の座談会をして、野間宏武田泰淳椎名麟三梅崎春生を扱ってきた。加えて、二回、野間宏武田泰淳について佐藤友哉が雑文を寄せている。こないだ私は、作家も評論家も文学の終りを口にする割りには終りのイメージが貧しい、と書いた。典型的なそれだ。野間宏「暗い絵」について書く四月号の「割と暗い絵」は、野間宏が読まれなくなって彼の文学が死んだことを伝え、あとは野間をほったらかしにしてサリンジャーの死を語った。からっと遊んでくれれば楽しいのに、本気で文学の死を食い止めようとしている身振りをちらつかせるあたりが、やっぱり萎える。九月号には武田泰淳蝮のすゑ」を扱った「ハサミムシのすえ」を寄せた。基本的な態度は「割と暗い絵」と同じで、「この企画、遊びでやってるわけじゃありません」とまさにそう書いている。なお「ハサミムシ」は実際は難しい漢字一字で表記されている。