柄谷中上『小林秀雄をこえて』(3)

 以下、中上健次物語論の引用である。彼は物語を「法・制度」として考える。実は、最も重要なその点はこの長い引用でも紹介しきれない。本書よりは、講演「物語の定型」や蓮實重彦との対談「制度としての物語」などを参照すべきだろう。また、蓮實の『枯木灘』論としては、たとえば「物語としての法」がある。それらを今まで真面目に読まなかったのを後悔している次第だ。過則勿憚改。

中上 「文学」と「物語」とはちがうという先ほどの話にもどると、文学というのは、柄谷行人も書いているんだけれども、告白という制度とかかわる。だいたいからして、人間とか、愛とか、真理とか真実とかさまざまなものはキリスト教の言葉なんですよ。読者もみんなキリストを受け入れる当時のブルジョア風な階層だったと思うんですよ。たとえキリスト教など無縁でも、小説読んだり文学を考えたりする者らはキリスト教にいつ入っても不思議じゃなかったはずです。その時のその尻尾はずっと今もついてまわっていますね。作家も読者もブルジョアであり、知識人であり、自分たちはさめているんだという考えがある。日本を単におくれたもの、古い駄目なものという具合に、たとえば大衆を見ていたと思うんです。大衆との乖離に悩んだりしたが、つまり大衆などないのさ。連中はキリスト教に入らないバカな偶像崇拝者という風に人を見ていただけなんですよ。小林秀雄と母上の話を見れば、それは、キリスト教信者と偶像崇拝者という構造なんですよ。文学主義の最たるものだと思うんです。真実はある、真理はある。それにさらに輪をかけ真理が固着し、動かなくなってくる。だからそういう小林秀雄が、じゃ谷崎をどう論じられるかというと、谷崎はぜんぜん文学主義とか、人間中心主義なんてまったくない物語系の作家ですから、論は当然鈍くなります。もちろん、僕は谷崎を崇拝しているが谷崎の物語に対してはたくさん不満はある。たとえば、物語で、サクラ(桜)と言えば、谷崎はやっぱり飾りつけるだけのきれいなものとしかとってないんです。ところが折口も言っているように、サクラというのはやっぱり何かを占うものなんですね。たとえば稲のその年の状況を占うとか、生命を占うとか。古代人は今みたいな、花なんて思ってないんですよ。非常にこわかった。サクラがハラハラと散るというのは、非常にこわいものなんです。もし桜が自分の運命のあれだと思ってて、ハラハラと風が吹いて散っていくというのはものすごくこわいもんです。ところが、そういう「物語(モノカタリ)」と言った方がいいサクラは、『源氏物語』を境にしてなくなり、たとえば谷崎潤一郎になってくると、きれいなもの、つまり、花は桜、魚は鯛、というそういうものとして物語が固着してくる。つまり振幅がせまくなってくる決定的なだめさ加減があるわけだよ。やっぱり谷崎さんはだめなんだなと古典とひきくらべると思ってしまう。
 ところがこの谷崎さんは日本でいわゆる近代と同時に入ってきた文学、キリスト教と同時に一緒に手を組んで入ってきた文学というものとはぜんぜん違う物語の系譜の作家なんですよ。文学より物語の方が、恐いんですよ。ちょっと考えてみても物語とは肉を斬らせて骨を斬るというように文学すら物語に取り込んでしまうような法、制度でもあるんです。それをどう捉えるか。小林秀雄からはじまった批評は物語に関して全部ネグってると思うんです。それこそあなたの言うプラトニズムみたいなものから小林秀雄は、物語に目をつむり、たとえば文学として西行を解析して行くわけです。都合よくまな板にのせたんだから、それは割れますよ。文学主義者たちは物語をとりあえず隠蔽させようと言文一致をやったりしたのですが、いかんせんここに来てボロを見せはじめた。キリスト教的でありヨーロッパ的でありすぎて信じるものは救われるという歌しかうたえないような状態になってきた。文学としての俳句、文学としての短歌、俳句は文学かという論争が一時期あったみたいですが、ヘキエキしますね。文学としての音楽、文学としての絵画、そんなものはやせていくだけなんです。つまり僕が言っているのは、一神教としての文学と物語の交通はありますが、それを一神教としての文学の方に加担するのではなく、多神教的に、文学を排して物語をさがし、さらにその物語を迎え撃とうという事です。もちろん、物語というと、この僕もすぐ物語にされてしまう強い装置なんですよ。物語しか用はないというのがいまのぼくの気持ですが、なにしろ今、蔓延している文学は潰さなくてはしょうがないと思っているんです。