村上春樹『1Q84』Book1

 二巻発売されたうちの一冊目である。主人公は二人いて、奇数章は女性、青豆さんだ。彼女が1984年の現実から1Q84に移ってしまう話である。一冊読んだ限りでは、そんな並行世界を設定する絶対の必然性を感じない。私は東浩紀ファントム、クォンタム」と何度か比較してきたが、こちらは並行世界が第一の主題である。この違いはBook2でどうなるだろう。
 ヤナーチェクシンフォニエッタ」が何度も聴かれる。ちょうどCDが普及する時期だが、青豆さんはLPで聴く。ジョージ・セル指揮クリーブランド交響楽団、いつものことながら春樹の選択は完璧だ。
 正確には、青豆さんはLPを買う前にこの曲をタクシーのラジオで聴く。それが冒頭だ。記憶に無いはずなのに、彼女には作曲者がわかってしまう。そして体がねじれる感覚を覚える。たしかに冒頭のファンファーレは和音がちょっとゆがんで聴こえるが、それがきっかけで1Q84に送られてしまうように読める。
 偶数章の男性主人公、天吾くんは高校生の頃にこの曲のティンパニを担当したことがある。Book1の情報だけを頼りにする限り、「だから青豆さんには作曲者がわかった」としか考えようが無い。二人は小学校でのひとつのエピソードを共有しているだけの付き合いだ。しかし、青豆さんはそれだけでずっと天吾を愛し、再会を願っている。
 連合赤軍を思わせる集団あけぼのと、オウム真理教を思わせる集団さきがけが描かれる。両集団の創始者深田保が謎だ。あけぼのは後者の分派ですでに壊滅しており、さきがけの台頭が物語では重要だ。これにはリトル・ピープルという不可解な妖精のような種族がからんでいるらしい。不気味な台頭である。
 なぜ1984年なのか。私は読んだことが無いが、オーウェル1984』が意識されているようだ。深田の親友、戎野によれば、『1984』の独裁者ビッグ・ブラザーは、この小説によってその危険性が周知のものとなり、現実世界ではもはやヒトラースターリンのような独裁者は現れにくくなった。「そのかわりに、このリトル・ピープルなるものが登場してきた」と彼は言う。
 これに深田の娘ふかえりの言葉を合わせれば、主題が見えてくるだろう。彼女は世間から隠れて生きる場所を森の中にたとえて言う。「森の中では気をつけるように。大事なものは森の中にあり、森にはリトルピープルが居る。リトルピープルから害を受けないでいるには、リトルピープルの持たないものを見つけなくてはならない。そうすれば森を安全に抜けることができる」。
 魅力ある人物が多い。パターン化できない人間の存在感が書けている。『動物化するポストモダン』を尊重すれば、これは若い世代からは失われた芸である。