鈴木志郎康『攻勢の姿勢 1958-1971』

 私は『罐製同棲又は陥穽への逃走』(1967)と『詩集家庭教訓劇怨恨猥雑篇』(1971)は持っている。鈴木志郎康というとこの二冊だし、これは初版本で読まないと意味通じないでしょ、と言いたい。しかし、『罐製』が見つからない。ので、自慢計画は中止する。
 この二冊を含む初期詩集四冊と初期の未刊詩篇からなる『攻勢の姿勢 1958-1971』が書肆山田から昨年九月に出ている。特に最初期の詩が一六〇ページ以上にわたって収録されたことに興奮する。当時の作品は「現代詩文庫」でも読めるが、二〇ページほどしか無い。
 実は志郎康の新刊を読むのは久しぶりである。数年前に『眉宇の半球』を買ったのが最後だ。実際は1995年の本だから新刊とも言えない。「あとがき」によると彼はすでに二十四冊の詩集を出してるそうだ。いつまでも『罐製』ばかり話題にしようとする私は迷惑な読者だろう。ちょっと反省しつつも、心を入れ替える前にもう一回、古い彼を思い出しておきたい。
 古い「現代詩手帖」を集めていた話は前に書いた。ずいぶん捨てたが、まだ手もとにあるのが一九七五年五月号「鈴木志郎康 vs 吉増剛造」だ。当時三十代の志郎康と剛造の対談をやはり久しぶりに読み返した。良いことをずいぶん言っている。志郎康は鮎川信夫と対談した時に、鮎川から言葉遣いの違いを指摘されたそうだ、「わからない」と。たとえば、「黄金」「太陽」「霊」を剛造は連発するが、鮎川をはじめとする「荒地」の世代は、そんな陳腐な言葉はとても使えない。志郎康はこう言った。

 それをぼくらは使うわけですよ。ぼくの詩で言えばセックスに関する言葉とか、品のない言い方とか、叩きつけるような断定調とか、あるいはエクスクラメーション・マークですね。あれは「荒地」の人たちにはいちばん頭にきてるんじゃないかっていう感じがするんですけれども。そういうものがわからないって言った場合にいちばんいい例として、電車の吊り広告とか週刊誌の見出しなんかを見たらいいんじゃないかと言ったんですよ、あれを単に人間の下劣な言葉の使い方だと片づけないで、現在のこの社会でどういう成り立ちをもっているかということを真面目に考えたならば、いまの言葉はそういうものでなければ相手に到達できないものになってきちゃってると思うんですよ。

 評論家が仮面ライダーを論じたり、ケータイの言葉で小説が書かれるよりもずっと昔に、詩人は「吊り広告とか週刊誌の見出し」を「真面目に考えた」、そこにちょっと感動した。肝心の『攻勢の姿勢』について語らず仕舞いである。未刊詩篇からせめて短いのだけでも紹介しておこう。「海と女と太陽とから生まれる諸々の島の物語」の「その五」を。
  灰と化した空
  灰と化した家
  それと何もない土地
  黒い屋根だけが区別されるもの
  女の黒い髪
  黒い屋根は突然膨れて行った
  膨れた髪は巨大な鯨になった
  黒い鯨は雲と海の間を泳いで行った
  我々は接吻していた
  それが異常に長かったためにか
  黒い鯨は細長い島になった
  眼の前には女の鼻が横たわっていた
  それと何もない土地
 「その七」まであり、本当は長い。『攻勢の姿勢』には付録がある。互いに七十代になった吉増剛造との対談だ。剛造はこの詩に触れてくれた。志郎康は、「焼け跡体験は凄く大きな体験です。何にも無くなってしまった、ということですしね」と答えている、「そこを自由に歩ける、道なんかいらない、どこに行ってもいい − そのことがぼくには強い体験でした」。初期の長い詩ではほかに「ギヌギヌギーナ河への蜜月旅行」が、おだやかな言葉遣いの詩ながら、『罐製』で爆発する「プアプア」を予感させる凄味が印象に残った。