飯塚朝美「クロスフェーダーの曖昧な光」の改稿

 飯塚朝美の初の単行本が出ている。「地上で最も巨大な死骸」と「クロスフェーダーの曖昧な光」の二編が収録された。書名は前者が選ばれた。これについては前に書いた。後者は新潮新人賞受賞作で、当時の選考委員たちに酷評された。これも前に書いた。あんまりひどい言われようで、以来、私は飯塚に肩入れするようになった。
 「クロスフェーダーの曖昧な光」は一昨年の「新潮」十一月号に載ったのを大幅に改稿したという。調べると、文学的に凝った過剰な表現を思い切り削っている。例を挙げよう。この小説は速水御舟「炎舞」が重要な役割を持つ。まづ、それが最初に現れる場面を、初出、改稿の順に示す。

 それは赤い絵だった。むしろそこには、赤しか塗りたくられていなかった。白い壁に留められ、その場所だけがくっきりと四角く切り取られ、別の空間に向かって禍々しく口を開いていた。採光の少ないフロアは僕たちの存在を曖昧にさせ、その絵だけが肥大し、はみ出した色彩が白々とした壁を這うかのごとく侵食していった。そのうねりに言い知れぬ恐怖を覚え、その緩やかな膨張から慌てて目を逸らす。絵の下方に掲げられた題名には、『炎舞』とあった。

 それは赤い絵だった。白い壁に留められ、そこだけがくっきりと四角く切り取られていた。採光の少ないフロアでその絵だけが肥大し、はみ出した色彩が壁を這うように侵食していった。絵の下方に掲げられた題名には、『炎舞』とあった。

 一目瞭然だ。「炎舞」の赤については、後にまた説明される箇所があるので、たしかにここは削った方が良い。こんな改稿が全編にわたってほどこされている。少なくとも四分の一は短くなった感じだ。受賞した段階でこの小説が好評だったら、すぐ単行本化されたに違いなく、その場合は改稿されなかったり、改稿がもっと甘くなったりしたかもしれない。彼女は屈辱をばねに精進したようである。もう一か所、私が一番驚いた削除も示しておく。やはり、初出、改稿の順で。なお、結末の部分なので露骨なネタバレになる。

「悪いな、優次」
 果たして、本当に境界は破られたのだろうか。確かに僕は決意の上で行為し、紗幕と遮光カーテン、そして襖を取り払った。それでも僕の世界は相変わらず向こうとは隔てられ、兄は完全に光を失うことで、再び僕との間に壁を作った。それは、二度と翔破することのできない距離だ。僕は立ち止まり、肩越しに病室を振り返った。リノリウム張りの廊下はあらゆる光を曖昧に反射させ、陽炎のように歪んだ空気に視界が遮られた気がした。
 明日、シメオンに電話をかけよう。今なら僕は、あなたが昔に放棄した、しかし再び挑もうとしている炎の色を創りだせる気がするのだと。それは彼が神だと崇める炎舞の色とは程遠い、ただ愚直なまでに暗闇を裂く、単色ファイアレッドパーライトだ。皆とずれ込んだ世界の中で、僕にとって確かな光の軌道はそれだけなのだ。
 ただ、僕は陰鬱に思い出している。あの時、両目から血なのか体液なのか判別のつかない液体をぐずぐずと垂れ流しながら、のた打ち回る兄の姿を。赤々とした世界の中でくず折れながら、それでも兄の口元は苦痛とは違う表情に歪んでいた様を。

「悪いな、優次」
 立ち止まり、肩越しに病室を振り返った。リノリウム張りの廊下はあらゆる光を曖昧に反射させ、陽炎のように歪んだ空気に視界が遮られた。
 僕は陰鬱に思い出していた。あの時、両目から血なのか体液なのか判別のつかない液体をぐずぐずと垂れ流しながら、のた打ち回る兄の姿を。赤々とした世界の中でくずおれながら、それでも兄の口元は苦痛とは違う表情に歪んでいたことを。

 最後の事件を通して主人公は炎の色を作る自信を得た、それが初出である。そして、自分も兄の悲劇を反復するのだろうか、という不安を主人公は抱きつつ、小説は終わる。不安を抱きながらも炎の色を作るという芸術家の誕生物語になっている。ところが、改稿によって、不安を抱く一般市民の姿で終わった。初出の方が主人公の業の深さが出ていて好きだが、削った方が改稿の趣旨として徹底しているということか。