「新潮」6月号「乙女の密告」赤染晶子

 赤染晶子には見覚えがある。昨年に「少女煙草」という変わった小説を書いた人だった。「乙女の密告」も登場人物が変わってる。ただ、「少女煙草」と違うのは、「乙女の密告」の登場人物は現実に居てもおかしくなさそうな気がするところである。
 舞台は京都の外国語大学のドイツ語学科で、共学らしいが女子大として読んでさしつかえない。異常に教育熱心な教師バッハマンが、『アンネの日記』の原語による暗唱大会に向けて、学生をしごきぬく。学生は必死に従う。それに誰も疑問を抱かぬ状況である。だから、バッハマン道場の熱気はどんどん上がる。それが読者に牧歌的なユーモアを与える。指導者が男性ひとりで、弟子が女性だけのグループ、という閉鎖的な空間では、たまに実際こんな感じになることがある。特に乙女の集団では。
 ウムラートの付いた「o」の発音の練習風景とバッハマン先生の訓示を引用する。

 この発音にはドイツ語学科に代々伝わる誤った発音法がある。「お」と言うつもりで「え」の口の形をして「う」と言う。みか子はやってみる。
「おぇー」
「ミカコ!」
 バッハマン教授は何度もみか子に発音させる。
「おぇー」
 何回やっても「おぇー」になる。他の乙女がやってもそうなる。バッハマン教授はこの音を乙女達に十分間各自で練習させる。キッチンタイマーをセットする。
「おぇー、おぇー、おぇー、おぇー」
 練習すればするほど、何をやっているのかわからなくなる。もはや、人の話す言葉ではなくなる。自分が新種の動物にでもなった気がする。教室中に乙女達の怪しげな嗚咽が響き渡る。隣の教室まで聞こえる。たまに「静かにしてください」と隣の教官から苦情を受ける。

「乙女の皆さん、血を吐いてください」
 バッハマン教授は日本式の努力と根性をとても愛している。一番好きな日本語は「吐血」だ。日本の真っ赤な情熱だ。バッハマン教授は常日ごろから乙女達に死ぬ気で生きるように言っている。

 乙女である。これが学生たちのアイデンティティーと連帯感を支えている。この小説における乙女とは何か。この小説を読んでない人には説明しにくい。独特のニュアンスがある。それはこの小説がよく書けている証拠だ。
 乙女であることを疑われた学生は自失と孤独に陥る。けれど、そうなった学生が自分の言葉を見つけて、乙女を卒業してゆく。これがこの小説のおおざっぱな物語だ。そこにありふれた文学のにおいがある。せっかくの乙女が枠にはまった結末に向けて成長してしまうのだ。あとほんのひとひねり書けなかったかなあ、と残念に思う。