「新潮」6月号「市民薄暮」諏訪哲史

 私は「ロンバルディア遠景」を読んだだけだ。まだこの人の作風がわからない。知らずに「市民薄暮」を読んだら、作者が同じことに気づかないかも。一人称の主人公が夢の中をふわふわ漂う短編である。朝吹真理子「家路」と似た趣向だ。オチは違っており、諏訪は、夢なんだか現実なんだか判然としないけど主人公は「真実」だと言い切る、という終わり方だ。
 路面電車での幻想的な行路に名古屋の地名が効果的に羅列される。路線図をぼうっと眺めたり、実際に駅を通過したり。
  柚木颪(ゆぎおろし) 中崩(なかくずれ) 鞆浦(とものうら)
   松降(まつふり) 三味郭(さみくるわ) 禰宜屋(ねぎや)
    生出浦(はいでうら) 嫁振(よめふり) 明屋敷(あけやしき)
 こんなのが何度も何度も現れて、どれも美しい名ばかりだ。作者は名古屋鉄道で駅員や車掌をした経験があるらしい。主人公もそんな男で、というか、私小説の設定で書かれている。夢を見たのか、実際に不思議な体験をしたのか、とにかく、「たしかな現実といまだ地続きの、真新しい記憶を、この原稿にしたためた」「或る年の七夕、その一両日に、わたしに起こった、真実のできごとである」と、最後にある。
 虚構とか小説とか真実とか、の議論もあって、それがテーマだろう。その理屈を追うより、それらは現実と非現実の境をあいまいにして幻想味を増す小道具なのだ、と読んでおきたい。