柄谷行人『世界史の構造』(4)「第二部第三章」

 国が唐やローマ帝国ほど大きくなると、もう国家の範疇では理解できない。それは世界帝国である。国や共同体を越えた原理が働く。帝国内の共同体間の交易が大きい。交換様式Bだけでなく、交換様式Cが重要になる。
 帝国にはその中核部と周辺部があり、帝国の影響の無い圏外がある。興味深いのは、周辺と圏外の中間に位置する亜周辺だ。古代アジアの帝国においては日本やギリシャローマ帝国においてはゲルマンの部族社会が、亜周辺にあたる。帝国の文明を選択的に受け入れつつ、ギリシャでは都市国家制、日本やゲルマンでは独自の封建制が成立した。亜周辺は互酬制を残す傾向がある。
 古代ギリシャソフィストは、知識を売ることからわかるように、交換様式Cにもとづいて共同体を渡り歩く、帝国的な外国人であった。彼らの思考をギリシャの共同体に持ち込んだのがソクラテスである。彼が死刑になったのはそのためだ。交換様式Cが互酬制に忌み嫌われるのは(3)に書いた。
 感想。このあたりから『世界共和国へ』とは異なる記述が目立ち始める。『世界共和国へ』でのソクラテスソフィストの攻撃者であった。また、「目には目を」を互酬制にもとづく条文として説明している。いづれも『世界史の構造』の方が正しいと思える。なお、帝国が広大な版図を容易に実現した理由を柄谷行人は、交易に有利だから諸国家が進んで傘下に入ったことを挙げている。対して、大澤真幸ナショナリズムの由来』は、帝国の支配のゆるさを説いている。互いに補完し合える面もある理論だが、柄谷が帝国の集権的な権力への志向を強調するなら、両者の違いは大きくなるだろう。どうなるか、まだわからない。