「群像」十月号、柄谷行人、「群像」と私

 「群像」が六十五周年ということで、何人かのエッセイを載せている。柄谷行人のが、以前私の書いた「編集部の都合」を詳しく説明していた。一九七三年に「小説現代」の編集長だった人が「群像」の編集長になったんだそうだ。「この人事は、戦後文学、純文学を破壊するものだという噂が広がった。事実、戦後文学派の批評家・作家がこぞって執筆拒否をしたのである」。それで、「マルクスその可能性の中心」の連載される余地が誌面に生じた、これが「編集部の都合」というわけだ。いかにも、「「純文学」と「通俗文学」という位階が厳然とあった時代」の話である。「しかし、現実には、この区別はすでに自己欺瞞的であった」と柄谷は述べている。