「新潮」10月号、柄谷行人「哲学の起源」(4)

第五章 イオニア没落後の思想 イオニアのイソノミアはリディアやペルシアの支配を受ける以前に崩れていた。イソノミアの維持は難しい。むしろイソノミアは失われた後に見出されるほどのものである。イソノミアを回復しようとする思想は、維持の難しさや崩壊に直面しているだけに単純でなく、思想家の置かれた状況を考えないと、イソノミアに反するようにさえ見える。
「1ピタゴラス イオニアでイソノミア(無支配)を回復しようとしたピタゴラスは、しかし、デモクラシー(多数者支配)の手法を採らざるをえず、それは結局、僭主を生んでしまうことにつながった。ピタゴラスイオニアを去り南イタリアで教団を組織し、イソノミアの回復運動を展開した。彼の教団は非政治的な瞑想者の集団のように見なされることが多いが、実際は社会改革をめざす結社だった。最終的には弾圧されてしまったが、国家にとってそれほど危険な集団であった。
 ピタゴラスの提唱した観想は、肉体感覚による知は仮象にすぎず、真の知は仮象を超えた世界に存する、という立場にある。このような真なる世界と仮象を分ける二重世界論によって、ピタゴラスは「最初の哲学者」と呼ばれる。彼の教団が研究した数も音楽も自然界を超えた世界に成立する。しかし、二重世界論は、イソノミアよりも、イソノミアが廃した祭司階級の考えそうなことであり、数も音楽もイオニアの自然哲学とは異なる性格を帯びている。ここに彼のイソノミアの単純でない面がある。

 ピタゴラスがそのように考えるようになったのは、イオニアの経験からである。彼がなそうとしたのは、すでにイソノミアが崩壊していた社会に、イソノミアを回復することであった。が、彼が見た民衆は、かつての独立不羈の市民とは違っていた。むしろ、すすんで僭主に服従するような人たちであった。そして、僭主となった彼の友人も、すでにイソノミアの精神をもたなくなっていた。この経験がピタゴラスを変えたのである。

 ピタゴラスは、仮象に惑わされる衆愚ではない、真なる世界を認識できる少数者による政治を求めた。「イソノミアを実現するためには、デモクラシーではなく、哲学者による統治が必要だと考えたのである」。つまり、プラトンは確実にピタゴラスの影響を受けている。
「2ヘラクレイトス イオニアを離れたピタゴラスに対して、居残ったのがヘラクレイトスであった。そして、戦わずしてペルシアに隷属したイオニア人を罵り続けた。戦わずして外国の支配を受けるようではイソノミアは存在できない。ヘラクレイトスが戦争を肯定し、万物の始原として火を挙げたのは、イソノミアを守る闘争が失われた時代に生きたからである。二重世界を否定したという点でも、ヘラクレイトスピタゴラスと対照的だ。ヘラクレイトスは万物が一であることを認めていた。つまり、プラトンイデア説につながるような世界が、自然界を超えたところに存在するとは考えなかった。
 ヘラクレイトスイオニアのポリスにとどまったというのはイソノミアに反するように見える。いつでも移動して共同体から離脱できることがイソノミアには必要だからだ。しかし、彼はポリスを断念せず、ポリスにおいてイソノミアを要求し続けることの意味を知っていた。「イソノミアは小さなポリスにおいて可能である」のだ。これは、死刑の宣告を受けてもアテネを離れなかったソクラテスを思わせる。
 感想 共同体が気に食わなければいつでも抜けてしまえばいい、というのが柄谷行人の言い草である。そこに彼の思想の問題点がある、と私は考えていた。しかし、今回の柄谷は、気に食わなくてもポリスに残る人間を高く評価したのである。私は、こういう、イソノミアに反するような思想家が実はイソノミアの回復に努力していた、という逆説を論じる柄谷が好きである。「内部」をつきつめたゲーデルこそが実は「外部」を志向していた、というような。