早稲田文学2号(08年12月)、特別付録DVD、川上未映子「戦争花嫁」朗読

 ずっと昔に授業で聞いただけで検証してはない。大正の始まるころの新聞は漢文調が主だったそうだ。例外はあって、それは新聞小説だった。そして、その文体がだんだん他の紙面に広がって現在のようになったそうである。
 ダンテがイタリア語を作り、ルターがドイツ語を作った、そして、漱石が日本語を作った、そう柄谷行人は言った。それは「こゝろ」や「道草」が新聞小説だったからである。個性的であると同時に夏目漱石の言葉は日本語を解する者にとって普遍的だった。
 川上未映子を読んでそんなことを改めて思い出した。彼女のエッセイを新聞でよく目にする。しかし、その日本語が標準になることはあるまい。真似をする者が現れても、それは川上未映子の真似であって、彼女の個性の型だけを表出するだろう。小説の日本語が日本人にとって重要なものではなくなった表徴だと思う。
 これは彼女の言葉がいくら面白くてもどうにもならない。作品の出来とは関係の無い事態だ。現代にも名作はある。「だから文学はまだ終わってない」と言う人は事態を理解できていない。『蒲団』や『蟹工船』はむしろ駄作だったではないか。
 早稲田文学1号(08年4月)の「戦争花嫁」は、川上の風変りな文体の特徴が、文章の意味を不可解にするまで発揮されている。「ある女の子が歩いているときに、不意に戦争花嫁がやってきて、それはいつもながら触ることも噛むこともできない単なる言葉でした。なのでつかまえて、戦争花嫁、と口にしてみれば唇がなんだか心地よく、豪雨の最中だというのに非常な明るさの気分がする」が冒頭だ。
 一文だけ翻訳すれば、「ある女の子が歩いていると、彼女にはいつものことですが、いきなりただの一単語が浮かんできて、この日は"戦争花嫁"なのでした」だろう。なぜわかりやすくこう書かなかったのか。そう書いては伝わらない無意味な私的感覚を表現したいからに違いない。たしかに翻訳は原文のニュアンスを損なっている。「意味のないものは意味のあるものより人を傷つけるということは少ないじゃないの」ともある。この一篇の言葉の無意味の価値はそこに存するのだろう。
 なかなか日常語に翻訳しがたい部分にも出会う。しかし、だいたいどうにか解釈できるのではないか。川上の書く無意味について考えてしまう。本当に無意味なのではない。意味のわかる状況が骨格にある。比較すれば、一文々々に疑問の少ないチュツオーラ『やし酒飲み』の方が場面々々で不可解だった。
 嫌いじゃない作家だから、また考える機会があるだろう。早稲田文学2号を買った。彼女が本編を朗読したDVDが付録だったのである。ピアノ、ドラムス、チェロによる効果音のような演奏が付いた朗読だ。あんまり上手な読み方ではなかったが楽しめた。私よりも彼女の方が楽しそうである。故意にか読み違えか、ところどころテキストとは異なる部分があることを指摘しておく。特に、全六節のうち第四節は読み飛ばされていた。編集された結果というわけでもなかろう。なお、字幕を付けて鑑賞することも可能である。