睦月の一番、村上龍『歌うクジラ』(まだ読み始め)

 宮台真司が誰かとの対談で「子育てしてると二割は仕事量が減る」みたいな発言をしていた。「勉強量」だったかな。よくまあ二割で済んだ。私の子育ては、一年目が終わろうとしたところで順調なペースがつかめてきており、それは要するに、読書量を四割は減らすことで達成できた。新刊書を買う量は減らすしかないか。書店で『村上春樹雑文集』をぱらっと立ち読みして棚にもどした。『ねむり』だってまだ読んでないのだ。それでも『雑文集』にひとこと言っておくと、「柄谷行人」ってのが変だった。もとは『夜のくもざる』(一九九五)に入るべきだったところを、編集者に削られてしまった一篇なのだそうだ。それほどヘンテコなのである。私は腰がその場でヘナヘナと崩れそうだった。柄谷信者としては鋭い柄谷批判を期待してしまうではないか。『夜のくもざる』は好きだ。「柄谷行人」があったらもっと好きだったろうな。
 そんなわけで村上龍『歌うクジラ』(二〇一〇)も昨年に買ったまんまだった。『希望の国エクソダス』を済ませて、こりゃあ読まなきゃ、と思っておととい初めてページを開いた次第である。いま最初の五章を終わった程度で、まだ全体の六分の一くらいか。とても良い。還暦近い作家がまったく枯れることなく、これでもかこれでもかとアイディアをぶちこんでいる。私のブログが始まって二年になるその間に読んだ新作長編の「最初の六分の一」大賞を与えたい。
 管理社会とそれへの反抗勢力がどちらも尖鋭化している未来の日本が舞台だ。小島に押し込められて育った主人公が本土に潜入しようとするところが始まりである。警察の封鎖を突破する場面のスピード感にあふれた描写が「受賞」理由だ。できるだけネタバレを避けて言うと、奇抜な装置が次から次へと主人公を襲い、意外な人物が主人公を助ける役にまわる。事情の説明が無く、私は「????」と思うものの、主人公を乗せた車が爆走しており、画面がどんどん切り替わって、私の疑問に答が返るかどうかお構いなしにページがどんどん進む。私に「????」と思わせてストンと落とす呼吸のうまいあたりを一か所、引用させてもらおう。主人公は仲間とある建物に忍び込もうとする。ところが玄関の前で仲間は立ちすくんだままだ。質問はできない。話すなと言われているのだ。仲間は時計を見つめている。緊張している。そのとき、

 突然甲高い動物の鳴き声のような音が遠くから聞こえてからだがビクンと震えた。足元が細かく震動している気がする。音は近づくにつれて金属的になった。ふと左のほうに顔を向けると規則的に横に並んだ四角いガラス窓が流れるように移動しているのが見えた。四角いガラス窓は右から左へと背後を移動した。
 いくつかのガラス窓の向こうに人の顔が並んでいて、それが何なのかわからずに恐慌状態に陥りそうになる。気配を察したのかアンが僕の脇腹を軽く突き、声に出さずに唇の形で、でんしゃ、と教えてくれた。

 『エクソダス』で私をうんざりさせた「文学的なセリフ」、あるいは、石川忠司『現代小説のレッスン』(二〇〇五)に言われる村上特有の「説教」が、いまのところ無いのも良い。このまま最後までいってほしい。